31 死後の生活の有無

 一九一四年九月七日の霊夢に、ワアド氏は陸軍士官と会ってその物語の続きを聞きました。陸軍士官はその際例の調子で次ぎの如くに語ったのであります。──

 

 

 地獄の第六境の都会をぶらついている中に、吾輩は一の学術協会らしい建物を見つけた。内部をのぞいて見ると、其所には何やらしきりに討論が行われて居た。討論の議題は『死後の生活の有無』というのでした。

 一人の弁士は左の如く論じ立てた。──

『人間が死後尚お生存するということに就きては其所に何等の確拠がない。成程或る人々は斯う論ずる。──われわれは一旦死んだ。然るに今尚おかく生きているのであるから、死後生命が存続することの証左であると。が、これは論理的でない。われわれは今尚お生きている。故にわれわれは初めから死なないのである。われわれは皆重い病気に罹った。病気から回復して見ると、あたりがこんなどんよりと曇った世界に一変して居た。──単にそれ丈である。』

『それだから』と他の一人が言葉を挿んだ『われわれは死んで地獄に居るに相違ない。』

『以ての外の御議論です。』と最初の弁士が叫んだ。『われわれは病気以前と同様気持よく此所に暮している。私は地獄の存在などは毫も信じない。よし一歩を譲りて地獄が存在するとしても、此所が地獄であり得ないと云うことには諸君も賛成されるに相違ない。牧師たちはわれわれに告げます。地獄は永久の呵責の場所で、虫も死する能わず、火も消ゆることがないと。然るにそのような模様は味塵も此所にないではないか。成る程下らない心配、下らない仕事が連日引きつづくので退屈ではあります。けれどもそれは地上生活に於ても常に見出すところである。われわれは所謂天国の悦楽をここに見出し難いと同時に、所謂永久呪われたる者の苦痛も見出し得ない。この点がわれわれの死んでいないことの最も有力なる証左である。若し死後の生活などと云うものがあるならば、それは地上の生活と全然相違しているべき筈である。此所の生活はわれわれの若かりし時の生活とは相違しているに相違ないが、肉体をはなれた霊魂の生活としては余りに具体的であり、実質的である。諸君、われわれは死後生命の存続を証明すべき何等有力なる確証をもたぬという私の動議に御賛成を願います。』

 それに続いて其反対論が出た。が、それは随分つまらない議論で、至極平凡な論理を辿り、自分達は確に一旦死んでいる。現在の住所が何所であるかは不明だが、多分煉獄であろうなどと述べた。すると清教徒達はそれに大反対で煉獄などというのは旧教の囈語だと反駁し、議場は相当に混乱状態に陥った。

 やがて次ぎの弁士が起ち上って一の名論? を吐いた。──

『私は自分の死んだことをよく知って居ります。そして現在われわれの送りつつある生活をただ一場の夢と考えるものであります。人間の頭脳なるものは、生命がつきたと称せらるる後に於ても、暫時活動を持続する。しかし最早肉体を完全に統御する力はなく、其期間に於て一種の夢を見るのである。従ってその状態は永久続くものとは思えない。われわれが地上にいる時でも、随分長い夢を見ることがあった。夢の中に幾日、幾週を経過したように考えた。しかし、覚めて見るとたった五分間ばかりの仮睡に過ぎなかった。斯く述べると諸君は言うであろう。──それならわれわれは単に頭脳の生み出した一の幻影に過ぎないかと。──その通りです。ここには都会もなく、議場もなく、あるものはただ自分丈であります。私はただ夢を見ている丈であります。幾何もなくして私の頭脳は消耗し、同時に夢も亦消えるでありましょう。御覧なさい、現在われわれは地上に居った時と全然同様な仕事を器械人形の如くただ何回も繰り返して居るに過ぎません。死後の生命なるものはただ死しつつある頭脳の一場の夢に過ぎません。しかし斯んなことを述べるのは、つまり自己の空想の産物に向って説法をすることなのであるから甚だつまらない。私はモー止めます。』

 そう言って彼は陰気な顔つきをして坐についた。

 満場どッと笑い崩れた。

 その時吾輩が飛び出して叫んだ。

『諸君、私は御当地を通過するただ一介の旅客にすぎません。けれ共若し諸君が私の言葉を信じて下さるならば、私は死後生命の存続することを証明し、天国の有無は兎に角、地獄は確に存在し、そして此処が地獄の一部分であることを立証してあげることが能きまず。此所よりももっと下層に行けば人々はいかにも地獄にふさわしい呵責を受けて居ります。一度私が死んでからの波瀾に富んだ閲歴をおききになって貰いましょうか?』

 が、皆まで言終らぬ中に満場総立ちになって呶鳴り出し、その中の数人は城壁の塔から吾輩を放り出すぞと威嚇した。仕方がないから吾輩はよい加減に見切りをつけて建物を立ち出ると、一人の男が吾輩の後に追いすがって言った。──

『イヤあなたが只今仰ッしゃった事は皆道理に協っています。あなたは地獄の各地を通過して、最後にここを脱出さるるお方に相違ありません。ついては私のことを同行しては戴けますまいか?』

 吾輩がそれに答える前に彼の守護神が姿を現わして言った。──

『わが児よ、余は汝を導いて、愛する友の歓んで助けを与える美しき境涯に入らしめるであろう。余は汝の胸に救助を求める精神の宿るまで、止むことを得ず差控えて居たが、今こそ再び立ちかえりて汝の将来を導くであろう。』

 右の人物と天使とは相連れ立ちて何所かへ行って了った。


底本:「死後の世界」 潮文社

J.S.M.ワード(John Sebastian Marlowe Ward)著

浅野和三郎訳

発行: 1995(平成7)年4月20日発行

底本の親本は嵩山房刊 1924(大正14)年12月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

※ ルビ付き版はこちらです。


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小桜姫物語について

「小桜姫物語」の再編集完了。

1、ルビなしのPHP化により携帯電話での表示が可能になり、キーワード検索が容易になりました。
2、HTML版は、従来誤字の修正点が未掲載だったものをバルーンヘルプにて誤字の修正点が解るようにし、底本の状態に近づけました。
3、CSSを変更して、HTMLのルビが、IE以外のブラウザでも表示出来るようにしました。

 今後、他のページも同様に再編集して行きます。

次は「新樹の通信」の再編集を行ないますが、9月1日から9月10日まで、私事多忙につき更新おやすみ。