30 第六境 (中)

 モーこんなものの見物にはウンザリしたので吾輩は守護神の所に立返り、それに導かれて市街の中央部をさして出掛けた。すると、其所には煉瓦造りのゴシックまがいの碌でもない寺院があったので試みにこれに入って見た。

 丁度内部では祈祷が始まって居る最中で、でッぷり肥った一人の僧がねばねばした偽善者声を出して何か喋っているので先ず吾輩の癇癪にさわった。お祈りの文句などはただべらべらと器械的にのべるのみで、熱は少しもない。すべてがただ形式一遍、喋る方も聴く方もお互にお茶を濁しているに過ぎない。

 かれの説教の中で耳にとまった文句の二三を少し紹介すると斯うだ。──

『親愛なる兄弟姉妹諸氏、あなた方は私を扶けてこの大都市の裡に何等悪徳の影もひそまぬように力をつくしていただかねばなりません。若し裏面に於て何等かの不倫の行為に耽っているものがあらば、その真相を徹底的にあぱき出すことが必要であります。たとえそれがあなた方の親友であり、又親族でありましても容赦なく弾劾することがあなた方の責務であります。若しあなた方が此の大事業に一臂の力を添えられようと思召さるるなら何時でも私の所にお出でになり、疑わしいと思わるるところを御遠慮なくわたくしに密告していただきます。悪事の跋扈横行ほど恐ろしいものはないのですから、常にそれを※葉の中に刈り取ることの工夫が肝要であります。私は常にあなた方の味方であります。悪徳駆除の為めには如何なる手段も選びません。

『ここに一例を申上げて置きます。あなた方の御友人の某夫人が近頃寺院に参拝しない。ドーもその方がある紳士と姦通の疑がある。──そんな場合にはあなた方はその方に同情するふりをするのです。そうして成るべくその人をおびき出して自白させるのです。同時に彼女の良人には私かに警告をあたえ、就中私まで一切の事情を報告していただくのです。』

 斯んな調子でしばらく論じたて、最後に斯く結論した。──

『兎にも角にも罪悪の証拠充分なりと見ればそんな社会の公敵に対して何等の慈悲恩恵を施すべきでありません。一時も早くかの城壁の塔より永久返ることのない大奈落に突き落すべきであります。──就きましては明日皆様と一堂に会して大宴会を催し、その際寺院改良に宛つべき資金の調達を試みたいと存じます。何卒公共の為めに皆様の御出席を希望いたします。』

 飛んだ説教もあったものだ。吾輩が寺院を出ようとすると、聴衆がひそかに斯んなことを語り合って居た。──

『牧師さんはいつもいつも寺院改良の為めだと云って資金の募集をやるが、一体あの金子は何うするのでしょうナ?』

『そりャむろん自分の懐中に捩じこむのでさ。少なくともその大部分を……』

『私もそう思いますね………。しかしあの金子を何んに使うのでしょうナ?』

『二重生活をすると金子がかかりますよ。──御承知の通りあの人には妻君の外に囲い者がありますからネ。』

 吾輩はそれだけしか聴かなかった。が、翌日の大宴会というものには是非出席して見ようと決心した。で翌日は都合をつけて、少し早目に寺院に出掛けて行って見ると、大会堂には牧師が控え、其の周囲には彼を崇拝する婦人の一団が早やぎッしり集まって居た。牧師が何にか一と言しゃべれば、何れも先を争そってそれに調子を合せ、そして隙間を見計らって誰かの告口をする。中には随分口にするにも耐えないような悪口も混って居た。

 漸くのことで、吾輩はある機会を見付けて牧師に話しかけた。──

『牧師さん、私は折入って一つの簡単な問題についてお訊ねしたいのですが、一たいあなたさまはキリスト教を心から御信仰なさいますか? それとも博学な高僧達の多くと同じくそれをただ一篇の神話と御考えになられますか? つまり神、天国、地獄などというものが果してあるものかな

いものか、御腹蔵のないところを伺いとう厶います。』

 彼は両手を組み合せ、例のねばねばした句調で答えた。──

『そりャ信仰という言葉の意味次第であります。牧師というものには大責任がありますから、めったに心弱きものを躓かせるような事は言われません。』

 いろいろと言を左右に托して逃げを張ったが、吾輩が追窮して止まないので、とうとう彼は本音を吐いた。──

『イヤ個人としていうならば、わたくしはキリストの物語を一つの神話………甚だ美しき一篇の神話と考えます。聖ポールをはじめ、古代のキリスト教徒は恐らく皆そう考えたに相違ありません。キリストの事蹟は一大真理を教えたところの一つの象徴であります。丁度エジプト人がオリシス神の死と復活とを説くようなもので、教育のあるエジプト人がオリシス神の実在を信じていたとはドーしても思えない。あれは単なる一つの寓言に過ぎません。不幸にも無智無学の徒はこれ等の寓言を字義通りに信仰し、中世時代に及んで、それが一般の信仰となって了った。近頃になってから、われわれは次第に真理に眼覚め、迷信の滓の中から脱却しつつある。──が、もちろんわれわれは大きな声で此等の事実を一般人にきかせることは能きません。若しもそんなことでもしようものなら恐らく牧師の職を棒にふることになるかも知れません……。』

『そうしますと、若しもキリスト教義の全体が単なる寓言に過ぎないとすれば、教会の必要は何所に厶いましょうか?』

『そりャ大々的に必要があります。本来教会というものは偉大なる道徳的勢力の源泉であるべきで、今後は恐らく一切の迷信的分子から脱却することになりましょう。が、現在ではまだそうするのは早過ぎます。大多数の民衆の為めには取るにも足らぬ寓言比喩をも政策上使用せねばなりません。』

『では天国、地獄、神などは実際は存在せぬと御考えですか?』

『その点に関しては私は明答を避けたい。或る人々にとりては、神の観念を有することが必要である。さもないと道徳的法則を遵守せぬことになりますからナ。が、私一個の私見としては、必ずしも神はないものと断定もせぬが、又神を必要欠くべからざるものとも考えない。私はこの世界がいくつかの法則で司配され、就中道徳的法則が何より貴いものであるように思います。道徳的法則を破るものは早晩その法則によって懲戒を受けますから、必ずしも万能の創造者が必要とは認められない。──いやしかし私はこんな事を一般民衆には公言する訳ではありません………。』

『けれども』と吾輩が彼の雄弁を遮って言った。『何にも神を万能の専制君主と見做す必要はないでしょう。神は一切を見通すところの賢明なる審判者であって、あなたの所謂法則なるものはつまり神から発するもの、神が整理さるるものではないでしょうか?』

『それはそうかも知れない。しかし淡泊にいうと、天国だの地獄だのというものはあれは皆嘘です。各人の受る賞罰は、つまり疾病の有無、又は社会の待遇等によりてきまるもので、決して天国だの地獄だのがあって賞罰を与えるのではない。私の地位としては死後の生活がないと公言することを憚るが、しかし実はあんなことは到底信じられない。』


底本:「死後の世界」 潮文社

J.S.M.ワード(John Sebastian Marlowe Ward)著

浅野和三郎訳

発行: 1995(平成7)年4月20日発行

底本の親本は嵩山房刊 1924(大正14)年12月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

※ ルビ付き版はこちらです。


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小桜姫物語について

「小桜姫物語」の再編集完了。

1、ルビなしのPHP化により携帯電話での表示が可能になり、キーワード検索が容易になりました。
2、HTML版は、従来誤字の修正点が未掲載だったものをバルーンヘルプにて誤字の修正点が解るようにし、底本の状態に近づけました。
3、CSSを変更して、HTMLのルビが、IE以外のブラウザでも表示出来るようにしました。

 今後、他のページも同様に再編集して行きます。

次は「新樹の通信」の再編集を行ないますが、9月1日から9月10日まで、私事多忙につき更新おやすみ。