29 睡眠者

 われわれはしばらく歩いて行く中に、やがて一つの洞穴に達した。見ればその内部には沢山の熟睡者がいた。試みにそれを呼び覚まそうとして見たが、とても起きる模様がない。

 この一事は少なからず吾輩を愕かした。今までの所では、地獄に住む者でただの一人も睡って居るものを見掛けたためしがない。──躯がないから従って睡眠の必要はないのである。

 で、不審の余りその理由を守護神に質問して見た。モーこの時には自分と先方との距離はソー遠くもなかったのである。

 守護神は悲しげに斯う答えた。──

『わが児よ、これ等は生時に於て死後の生命の存続を飽までも頑強に否定すべくつとめた人々の霊魂なのじゃ。何れも意思の強固なものばかりで、若しも信仰の念さえあったなら、相当に世を益し人を助けることが出来たであったろうに、ただその点だけ魂の入れどころが違って居たばかりに、人を惑わし、同時に自分自身も死後自己催眠式に昏睡状態に陥って了ったのじゃ。この睡りは容易には覚めない。彼等は幾代幾十代となく斯うして睡っているであろう。その間に器量から云えば、彼等よりも遥に劣り、中には地獄の底まで沈んだものでも前非を悔いてずんずん彼等を追い越して向上して行くであろう。』

『こりャ実に恐ろしい御話です。呼び覚ます方法はないものでしょうか?』

『多大の年代を経過すれば自然とその呪の力は弱って来る。その時天使達が降りて来て何彼と骨を折ってくだされば、彼等の長い長い夢も初めて覚めるであろう。』

 その中われわれは断崖絶壁ばかり打ちつづける地方に到着した。しばらく崖の下を彷うて居ると、行手に一条の狭い、ツルツルした階段が見え出した。──と、丁度その時唐突に一人の男が空中から舞い下って来てすぐ自分達の前に墜落した。が、その人はそのままとび起きて闇の中にのがれ、何所ともなく行方を失なってしまった。

『あれは一体何者で御座いますか?』と吾輩がびッくりして訊ねた。

『あれは上の第六境で、規律を破った為めに追放されたものじゃ。第六境の居住者は大変風儀品格を尊重する人達で、若しもその禁を犯して彼等の怒りを買えば、忽ち追放処分を受ける。第六境の居住者の最大欠点は、自己ばかりが飽まで正しいものと思いつめることで、しきりに自己の隣人を批判して讒謗誹毀を逞うする事が好きじゃ。いや然しモー彼所に休憩所の光りが見え出した。いかなる種類の人間が第六境に住んで居るかは汝自身で査べるがよかろう。』

 われわれはそれで話を切り上げ前面の長い長い階段を一歩一歩に登りかけたが、イヤその苦しさと云ったらなかった。しかし灯台の光りは次第次第に強くわれわれの前途を照した。無論その光は身にしみて痛いには相違なかったが、ここぞと覚悟をきめてとうとう天使達の設置してある休憩所まで辿りついて了った。


底本:「死後の世界」 潮文社

J.S.M.ワード(John Sebastian Marlowe Ward)著

浅野和三郎訳

発行: 1995(平成7)年4月20日発行

底本の親本は嵩山房刊 1924(大正14)年12月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

※ ルビ付き版はこちらです。


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小桜姫物語について

「小桜姫物語」の再編集完了。

1、ルビなしのPHP化により携帯電話での表示が可能になり、キーワード検索が容易になりました。
2、HTML版は、従来誤字の修正点が未掲載だったものをバルーンヘルプにて誤字の修正点が解るようにし、底本の状態に近づけました。
3、CSSを変更して、HTMLのルビが、IE以外のブラウザでも表示出来るようにしました。

 今後、他のページも同様に再編集して行きます。

次は「新樹の通信」の再編集を行ないますが、9月1日から9月10日まで、私事多忙につき更新おやすみ。