28 第五部の唯物主義者

 さて吾輩は又も守護神に導かれて、橋を渡って対岸の哨所に入った。が、爰ではちょっと足を停めた丈で、再び濃霧の立ちこめた闇の戸外に歩みを運んだ。

 しばらく一つの大きな汚ない河流の岸を歩いて行くと、やがて一大都会に到着した。これは世にも陰鬱極まる所で、見渡す限り烟突ばかり、製造所やら倉庫やらがゴチャゴチャと建ち並んで、その間には塵埃だらけの市街が従横に連なって居る。何所を見てもむさくるしく、埃くさく、そして工場の内外には職工がゾロゾロ往来している。吾輩は足を停めて職工の一人に訊ねた。──

『一体君達はここで何をして居る?』

『工業さ、無論……。』

『製造した品物は何うするかね?』

『売るのだね無論……。しかし妙なことには、幾ら売っても売っても其品物は皆製造所へ戻って来やがる。斯んなに沢山倉庫ばかり並んで居るのはその為めだ。爰ではひッきりなしに倉庫を建てて居なけりャ追ッつきャしない。邪魔でしょうがないから一生懸命に売り飛ばして居るんだが、それでもいつのまにやら一つ残らず品物が戻って来やがる。』

『焼いて了ったらよかろう。』と吾輩が注意した。

『焼いて了えッて………。そりャ無論焼いて居る。一遍に大きな倉庫の十棟も焼くのだが、しかし矢張り駄目だね。すぐに全部がニョキニョキと戻って来る。こいつばかりはしょうがない……。』

『それなら何故製造を中止しないのかね?』

『ところがそれが能きなら。不思議な力が爰に働いていて、どーしてもひッきりなしに働いて働いて働き抜かなければならなくできている。休日などはまるでない。莫迦莫迦しい話だが、これも性分だから何とも仕方がない。生きている時分だってこちとらは労働以外に何にも考えたことなんかありャしなかった。のべつ幕なしに糞骨折って働いたものだ。その報酬がこれだ。せっせと同一仕事を繰返し繰返し繰返しして、一年、二年、五年、十年、百年………。何時までも休みッこなしだ。』

『君達は生きてる時分にはただ物質のことばかり考えて居たに相違ない。そのせいで地獄に来ても同じような事をさせられるのだ。』

『何に地獄だッて! 地獄だの、極楽だのというものがこの世にあって耐るかい!』

『それなら此所は何所だと思うのかね?』

『知るもんか、そんなことを……。又知りたくもねえや。此所には寺院はありャ僧侶もある。お前見たいな阿呆に話しをする時間はねえ。どりゃ仕事に取りかかろう。』

そう言ってその男は工場へ入って行った。

 吾輩はやがて大きな広場に来たが、そこには寺院が三個もあった。一つは英国々教、一つは羅馬旧教、他の一つは反英国々教の所属であった。吾輩は先ず英国々教派の寺院に入って見た。一人の僧侶がしきりに説教を試みて居たが、随分面白くない説教で、要点は主として他宗の排斥と寄附金の募集とであったが、それを社会の改良だの、下層社会の救済だのという問題にむすび付けて長々と述べ立てるのであった。

 会衆はと見るとか説教などに頓着して居るものは殆んどない。隣席の者をつかまえて、喋々と他人の悪口を並べるのもあれば、近所に来ている人の衣服の批評を試みるのもある。其他商売上の相談をやるもの、議論をやるもの等種々雑多で、僧侶の声などは殆んど聞きとれない。

 余りに莫迦らしいので、吾輩は其所を出て他の二つの寺院へ入って見たが、何れも似たり寄ったりで、面白くもなんともなかった。

 次ぎに吾輩の出掛けたのは市の中で売店ばかり並んでいる一区劃であったが、全体の状況は少しも製造場と変ってはしなかった。人々が買物に来ることは来るものの、支払った金子は皆その買主に戻り、又売った品物は皆その売主に戻って行くのであった。

 余りに不思議なので吾輩はとある商店の主人に向って訊いた。──

『あなたの売る品物は何所から来るのです? 製造所から仕入れて来るのですか?』

『いやこれらの品物は皆私と一緒に此所へ附いて来たのです。何れも皆私が死んだ時に店に置いてあった品物ばかりですが、そいつがどうしてもこの店から離れません。見るのもモーうんざりしますがね。』

『それなら商売をやめたらいいでしょうに。』

『冗談言ちゃ可けません。商売をやめたら仕事がなくなってしまいます。私は子供の時分から品物を売って一生暮して来た人間ですからね………。』

 彼は吾輩を極端な没分暁漢と見絞って、プイと先方を向いてしまった。そして一人の婦人に新らしい帽子を売りつけたが、むろん其帽子は右の婦人が店を出て三分と経たない中にチャンと自分の店へ舞い戻って居た。

 その次ぎに吾輩は市会議事堂へ入って見た。そこでは議員達がしきりに市の改良策に就いて火花を散らして論戦して居たが、いくら喋々と議論したところで、いずれその結果は詰らないに決っているので間もなく又其所を出てしまった。

 とうとう市街を通り抜けて郊外に出たが、不相変それは一望がらんとした荒地で、廃物ばかりが山のように積まれ、草などはただの一本も生えていなかった。


底本:「死後の世界」 潮文社

J.S.M.ワード(John Sebastian Marlowe Ward)著

浅野和三郎訳

発行: 1995(平成7)年4月20日発行

底本の親本は嵩山房刊 1924(大正14)年12月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

※ ルビ付き版はこちらです。


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小桜姫物語について

「小桜姫物語」の再編集完了。

1、ルビなしのPHP化により携帯電話での表示が可能になり、キーワード検索が容易になりました。
2、HTML版は、従来誤字の修正点が未掲載だったものをバルーンヘルプにて誤字の修正点が解るようにし、底本の状態に近づけました。
3、CSSを変更して、HTMLのルビが、IE以外のブラウザでも表示出来るようにしました。

 今後、他のページも同様に再編集して行きます。

次は「新樹の通信」の再編集を行ないますが、9月1日から9月10日まで、私事多忙につき更新おやすみ。