‘2010/03’ カテゴリーのアーカイブ

21 地獄の病院 (下)

2010/03/31

 この長物語をきいて吾輩はニニィに向って訊ねた。──

『君は、ジューの事をあんなひどい目に逢わせて気の毒には思わんかね?』

『気の毒? 何が気の毒なものですか! あれ位の事をしてやるのは当り前だワ。──しかし何んぼ何んでもこの解剖室に置かれるのは真平ですワ。』

 吾輩は今度は若い医者に向って言った。

『それにしてもあなたはこの女を苦しめて何が愉快なのです? そりャこの女は今は随分醜いことは醜い。犯した罪悪の為めにさっぱり標緻が駄目になっている。──しかしこれでも矢張り女です。個人として何にもあなたに損害を与えた訳ではないじゃありませんか。なぜこんなひどい目に逢わせるのです?』

『それでは』と医者が答えた。『この女の代りに君を解剖してあげるかナ。』

『吾輩は御免蒙る! それにしても君は解剖するのが愉快なのかね?』

『愉快なのかッって? 些っとも愉快じゃないさ。そりャ最初は他の苦しがるのを見ると一種の悪魔的快楽を感ぜぬではなかった。自分がつまらない時に他人をつまらなくしてやるのは何となく気が晴れるものでね……。しかし、しばらく行っているとそんな虚欺の楽みはだんだん厭になる。現在のわれわれは格別面白くも可笑しくもなく、ただ器械的に解剖をやっている。自分の手にかける犠牲者に対して可哀相だの、気の毒だのという観念は少しも起らない。われわれは死ぬるずッと以前から、そんなしゃれた感情を振り落して了っている。のみならず爰に居るもので憐憫に値するものは一人もない。何れも皆われわれ同様残忍性を帯びたものばかりだ。兎に角地獄という所は何をして見ても甚だ面白くない空虚な所だ。ここでは時間のつぶしようが全くない。イヤ時間そのものさえも無いのだから始末に行けない………。』

 そう言い了って、彼はプイとあちらを向いて、グザと解剖刀をば婦人の胸部に突き立てた。

 吾輩は覚えず顔をそむけてその室から出ようとすると、忽ち三四人の学者どもが吾輩を引ッつかまえた

『今逃げ出した奴のかわりに此奴で間にあわせて置こうじゃないか。』

 そう彼等の一人が叫ぶのである。

『冗談言っちゃ困る!』

 吾輩は呶鳴りながら生命がけで反抗して見たが、とうとう無理無体に解剖台の上に引摺りあげ、しっかりと紐で括しつけられて了った。それから解剖刀で躯の所々方々を抉りまわされたその痛さ! イヤとてもお話の限りでありません。

 が、そうされながらも吾輩は油断なく逃げ出すべき機会を狙いつめて居た。

 間もなくその機会が到来した。二人の医者の間に何かの事から喧嘩が開始された。天の与えと吾輩は台から跳び降り、一心不乱に神様に祈願しながら玄関さして駆け出した。

 一人二人は吾輩を引きとめにかかったが、こんな事件はここでは所中あり勝ちの事と見えて、多くは素知らぬ風を装おうて手出しをしない。とうとう吾輩は戸外へ駆け出し、それから又も荒涼たる原野を生命かぎり根かぎり逃げることになった。

 が、しばらくしても、別に追手のかかる模様も見えないので、やがて歩調をゆるめ、病院に於ける吾輩の経験を回想して見ることにした。

 吾輩が当時痛感したことの一つは、地獄の住民が甚しく共同性、団結性に欠けていることであった。しばしの間は仲よくしていても、それが決して永続しない。例えば吾輩の逃げ出した際などでも、若し医者達が、どこまでも一致して吾輩を捕えにかかったなら到底逃げ了せる望はないのである。ところが一たん逃げられると、そんなことはすっかり忘れて了って、やがて相互の間に喧嘩を始める。現に吾輩が病院に居る間にも一人の医者がその同僚からつかまえられて解剖台に載せられていた。

 ある一つの目的に向って義勇的に協同一致する観念の絶無なこと──これはたしかに地獄の特色の一つである。

 イヤ今日の話はこれで一段落として置きます。左様なら。──

 語り了って陸軍士官は室外に歩み出ましたので、ワアド氏も叔父さんに暇乞いをして地上の肉体に戻ることになったのでした。


底本:「死後の世界」 潮文社

J.S.M.ワード(John Sebastian Marlowe Ward)著

浅野和三郎訳

発行: 1995(平成7)年4月20日発行

底本の親本は嵩山房刊 1924(大正14)年12月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

※ ルビ付き版はこちらです。


21 地獄の病院 (中)

2010/03/30

 『わたしの方では』と解剖台の女は言葉をつづけた。『むろんあのジューが所持金の殆んど全部を銀行に預けてあることをチャーンと承知して居ます。けど、もともと復讐をしてやりたいのがこっちの肚ですからガストンにはそうは言いません………。』

『ガストンて、君の情夫の名前かね?』

『当り前だワ。』と彼女は済ましたもので、『ガストンにはジューがどこかに金子を隠してあるように言いきかせてあります。「お前さん何を愚図愚図しているの! さッさと白状させておやんなさいよ!」そうわたしが言ってジューの眼の前で散々拳固を振りまわして見せてやりましたの。

『そうすると衆が寄ってたかって猿轡を外し、同時に一人の男が短刀をジューの喉元に突きつけました。

 「こらッ早く金子の所在地を白状しろ!」

とガストンがはげしく叫びます。

 「金子は残らず銀行に預けてあります。家にはホンの二百フランしかありません。下座敷の箪笥の一番上の抽出しに入って居ます……。」

とジューが本音を吐きます。

 「この嘘つき奴ッ! 家の何所かに二万五千フラン隠してあるくせに!」

とわたしが叫びます。

 「これこれ、お前はニニィじゃないか?」

とジューがびッくりする。

 「当り前さ。」とわたしが答える。「今夜はいつかの讐を取りに来たのだからね、愚図愚図言わないで早く金子を吐き出しておしまいよ。そうしないと後で後悔することができるよ。」

 「飛……飛んでもない奴に見込まれた………。」

『ジューの爺さん、何やらくどくど文句を並べかけたので、わたしはイキナリ、爪先で先方の顔をガリッとひッかいて、

 「済まなかったわネ」

と言ってやりましたの。痛がってジューがわめき立てようとしましたので、ガストンが早速又その口を猿轡で塞いぢまいました。

 「ドーも箆棒に隙つぶしをしちゃった。」とガストンが言いました。「その炭火をここへ持って来い!」

『仲間の数人とわたしとで爺さんをつかまえて、爺さんの素足を炭火の中に焚ると、他の二三人がしきりにそれを吹き起す。……間もなく炭火は紫の火焔を立ててポッポと燃え出して来ました。

『爺さん苦しまぎれに一生懸命躯を捩りましたが、もちろん声は出はしません。そうするとガストンが、

 「ここいらでモ一度吟味するかナ。」

と言いますから、両足を火の中から引ッ張り出してやりましたが、両足ともこんがりと狐色に焦げていましたワ。口から猿轡を脱して置いてガストンが叫びました。──

 「金子を出せ! 早くせんと宥さんぞ!」

 爺さん蚊の鳴くような声で、

 「金子が若しここに置いてあるならすぐに出します。金子さえあったら、こ……こんなひどい目にも逢わずに済んだであろうに………。勘………勘忍しておくれ………。」

『しかしガストンはそれをきいてますますむかッぱらを立て、手荒らく猿轡を爺さんにかませて置いて、

 「こいつの言うことは真実かしら……。」

とわたしに訊くのです。

 「嘘ですよ!」

とわたしが叫ぶ。

 「そンならモ一度火にくべろ!」

『再び火焙りの刑が始まりました。が、俄かに見張りの男が室内にかけ込んで来てけたたましく叫び立てる。──

 「早く早く! 警察から手がまわった!」

『さァ大変だというので、一人は扉を開けて逃げる。一人は窓から跳び出す。一人は雨を伝って降りる。──けどわたしはガストンの腕を押えて言いましたの。──

 「莫迦だねお前さんは! こんなものを生かして置くとすぐ犯人が判るじゃないの!」

 「全くだ!」

『そう言ってガストンは振りかえってジューの喉笛をただ一刀にひっきりました。

『わたし達はその場は首尾よく逃げのびましたが、それから間もなくガストンはある晩酔ったはずみにわたしのことをナイフで刺し殺したんです。それからだんだん順序を踏んで、御覧のとおり只今はこんなところでこんなひどい目に逢わされているので厶いますの………。』


底本:「死後の世界」 潮文社

J.S.M.ワード(John Sebastian Marlowe Ward)著

浅野和三郎訳

発行: 1995(平成7)年4月20日発行

底本の親本は嵩山房刊 1924(大正14)年12月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

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21 地獄の病院 (上)

2010/03/29

 しばらくして吾輩は図書館を後に、ガランとした一つの荒野を横切ると、そこには果していわゆる地獄の病院が建っていた。図書館も可なり気味のよくないシロモノであったが、病院と来た日には尚更とてつもない所であった。兎に角門をくぐって玄関口に入って見ると、広いことも莫迦に広いが、汚いことも又古今無類であった。

『地上の病院とは少々勝手が異うナ。』と吾輩は考えた。『地上の病院はチト潔癖すぎるが、こいつァまるでそのあべこべだ。』

 汚ない廊下を進んで行くと、図らずも一つの手術室に突当った。其所には一脚の手術台が置いてあって、その上に一人の男が横わっていた。手や足がイヤにシッかり縛られているという以外には格別の異状も認めなかったが、やがて一人の医者が来て、その患者の中枢神経の一つに対して恐ろしく痛い手術を開始した。切開される患者の悲鳴、それを凝視する見物人の悦に入った顔容──いかな吾輩にもそれを平気で見て居る気がせぬので、こそこそ室を逃げ出して、今度は解剖室へ入って行った。

 爰では生きている男と、それから女とが解剖に附せられつつあった。一個の切り刻まれた躯が放うり出されると、そいつは再び原形に復する。原形に復したと見ると他の医者が再びそれを切り刻む。何回同じ残酷事が繰りかえされるか知れない。

 ある一つの解剖台では、一人の婦人が若いお医者さんの手にかかって今しも解剖されつつあった。婦人の方では悲鳴を挙げて赦してくれと哀願するのでさすがの医者もちょっとためらいかけると、側の解剖台で手術中の年の行った医者がそれを見て呶鳴りつけた。若い医者はびッくりして再び刀をとりあげた。

 見るに見兼ねて吾輩がそこへ歩み寄った。──

『一たいこの婦人は何者で、又あなたはドーいう訳でそんなにこの婦人を苦しめるのです? 何かあなたに対して怨を買うような事でもしたのですかこの女が……。』

 若い医者はすまし切って冷淡に答えた。──

『僕が何でこの女の身元などを知っているものですか! それを知りたいなら、あなた自身で勝手に女に訊いて覧るがいい。』

 仕方がないから吾輩は婦人の方を向いて姓名を訊ねた。すると彼女は手術をちょっと待ってもらって吾輩の問に答えた。──

『わたしニニィていいますの。元はパリの花柳界に居たのですがね、あるジューの囲い者にされて三年ばかりその男の世話になっていましたの。』

『厭な奴だね、ジューなどの世話になって………。』

『わたしだって厭でしたワ。厭で厭でしょうがないから時々口直しに俳優買いなどをしたのですワ。ところがある日一人の若い俳優と密会している現場に踏みこまれ、骨の砕けるほど撲たれた上に家からたたき出されて了ったの………。

『わたし旦那も怨んだけれど、意気地なしの情夫のことも怨みましたワ。だッて、わたしの事を些っとも庇護ってもくれないで、兎見たいに風をくらって逃げちまったんですもの。それでわたしは是非この二人に怨をかえしてくれようと固く決心したのです。

『そうする中に丁度うまい機会がまわって来ました。わたしがその次ぎに懇意になったのはアパッシ(市内無頼団)の団長で、ちょっと垢ぬけのした紳士くさい好男子……。狡くて、残忍で人を殺す位のことは何とも思っていないで、わたしの仕事を依むのにはそりャ全く誂い向きの人物でした。わたしは早速ジューの話をして、あそこへ闖入れば金子はいくらでも奪れるとけしかけてやりました。

『とうとうある晩ジューの家に押し込むことになって、わたしがその案内役を引き受けましたの。むろんそのジューはこの上なしのしみッたれで、家にはとまり込みの下男が一人と、他に通いの下女が一人雇ってある丈です。

『住居はパリの郊外の、辺鄙な、くすぶったようなところです。

『団員の一人が先ずその下男というのをひッぱたいて気絶させておいて、それからどっとジューの寝室にとび込んで、爺さんをグルグル捲きにして猿轡をかませて了いました。』

『ひどい事をしたものだね。』

と吾輩も感心して叫んだ。


底本:「死後の世界」 潮文社

J.S.M.ワード(John Sebastian Marlowe Ward)著

浅野和三郎訳

発行: 1995(平成7)年4月20日発行

底本の親本は嵩山房刊 1924(大正14)年12月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

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20 地獄の図書館 (下)

2010/03/28

 老人は鹿爪らしい顔をして尚お諒々と説明をつづけた。──

『一体著者の目的が真に社会同胞の安寧幸福を増進せんが為めであるなら縦令それが生体解剖の書物であろうがそれは決して地獄には来ない。しかし多くの学者、就中大陸の学者が生物を解剖するのは、解剖の苦痛がいかなる作用を生体に及ぼすかをしらべて見たいという極めて不健全な好奇心から出発するのが多い。これは社会同胞に対して何等の効益もなく、又その種の書物の出版は徒らに他人に同様の好奇心を促進させることになる。そんなものが地獄の所属となるべきは言うまでもあるまい。それから又、ある一部の科学者のやる実験じゃが、よしやその動機は善良であるにしても、その執るところの手段方法が愚劣を極むる場合が少くない。そんなものを発表する書物も矢張り地獄の厄介になる。他人に迷惑をかけるだけのシロモノじゃからナ……。』

『そう致しますと、大概の生体解剖学者連が死んでから落ちつく場所はこの近傍ですナ?』

『随分多数の生体解剖学者がこちらへ来て居るよ。──が、お前さんが想像するほどそんなに沢山でもない。生体解剖学者などというものは大ていは冷血動物に近いが、その中の可なり多数は純然たる学究肌で、少々眼のつけどころが錯っているという位のところである。で、彼等の欠点はしばらく幽界で修行している中に大抵除かれるものじゃ。お前さんも知っとるじゃろうが、生前彼等の手にかかって殺された動物は幽界でその復讐をやる。そうすると大概の学者は、これでは可かんと初めて眼がさめて前非を後悔する………。』

『何ぞ罪障消滅の方法でもありますか?』

『そりャあるよ………。アノ動物虐待防止会などという会がちょいちょい人間界に組織されたり何かするのはつまりその結果じゃよ。が、全体あの学問の為めにという奴が随分くせもので、どれ丈あの為めに地獄が繁昌しているか知れたものじゃないナ………。』

『地獄では科学者達を何んな塩梅に取扱って居ます?』

『そりャいろいろじゃよ。解剖学者などはこの図書館から遠くもない一つの病院に勤務している……。』

『エッ病院……。』

と吾輩びッくりして叫んだ。

『そうじゃよ。──尤も地獄の病院という奴は患者の治療が目的で経営されているのではない。例の神聖な学問の研究が目的でナ。イヒヒヒヒ。お前さんも一つ自分で出掛けて行って見物して見るがいい。若し自分の躯を解剖されるのがさほど怖くないなら………。イヒヒヒ。』

 会話はこんなところで一と先ず切りあげて置いてわれわれは図書館の第二部に進み入った。ここはいろいろの思想が悉く絵画の形で表現されているところで、その内容はもちろん憎悪、残忍その他に関係しているものばかりであった。例えば人体に苦痛を与える為めの精巧無比の器械類但しは霊魂や幽体の攻道具の図解等で、よくも斯んなうまい工夫ができたものだとほとほと感心させられるようなのがあった。

 が、一ばんひどかったのは第三部で、拷問にかけらるる人物の苦悩の順序などが、事こまやかに、例の活動写真式に眼前に展開されて行くのであった。

 老人が斯んなことを吾輩に説明した。──

『他を苦しめようと思えば、どんな方法を用ゆればどんな苦痛を起すものかを学理的に知って置くことが必要じゃ。苦痛の原理を知らないでは、こちらに充分の意思が起らんから従って先方に充分の効果を与え得ない。ここで査べて置けば先ずその心配はなくなる………。』

 吾輩が見物した多くの絵画の中に人間の生体解剖の活動写真があったが、いかに何んでもそいつは余りに気味がわるくて、とても爰で説明する気分にはなれない。

 これ等を見物して居る中にさすがの吾輩もだんだん胸持が悪くなって来た。吾輩も随分無情冷酷な男で、時々ひどい復讐手段も講じたものだが、しかし苦痛の為めの苦痛を与えて快とするほどの残忍性はなかった。矢鱈に他を苦しめて嬉しがる──。そんなイタズラは吾輩にも到底為し得ない……。


底本:「死後の世界」 潮文社

J.S.M.ワード(John Sebastian Marlowe Ward)著

浅野和三郎訳

発行: 1995(平成7)年4月20日発行

底本の親本は嵩山房刊 1924(大正14)年12月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

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20 地獄の図書館 (上)

2010/03/27

 一九一四年六月八日の夜陸軍士官の口から漏れた地獄の第三境の体験譚ですが、学問研究の美名にかくるる人間界の高尚な魔的行為のいかに憎むべきかが遺憾なく窺われます。これからつづく二三章は現代の読書子に取りてこよなき参考と考えられます。


 さっそく前回のつづきを物語ります。

 吾輩をつかまえた四人の奴原は熾んに吾輩を撲りましたが、その言い草が振っている。──

『別に汝を撲りたい訳ではないが、斯うして見せないと、何方が強いか判らないからナ……。』

 実をいうと吾輩も以前地獄にいた時にはこれと同じようなことをして来たのだ。で、余んまり口惜しいので一旦は一生懸命反抗って見たのであるが、ドーも今度は勝手が異ってさッぱり思うように行かない。別に吾輩の意思が弱くなった訳ではないが、ただ悪事を働こうとする意思がめっきり弱ったので、これでは喧嘩をするのに甚だ不利益にきまっている。しかし吾輩の為めにはこれが却って薬なので、地獄で巾がきくような時代にとても救われる見込はないにきまっている。

 随分久しい間吾輩は四人の者から虐め抜かれたものだが、漸くのことでちょっとの隙間を見つけて逃げ出した。後から四人が追跡して来たものの、悪事を働く意思の弱くなったと反比例に吾輩の逃げる意思が強くなったお蔭で、難なく彼等を置き去りにすることが能だ。

 吾輩はそれから幾週間かに亘りて小石まじりの闇の野原をひた走りに走ったが、その間殆んど人ッ子一人にも逢わず、万一逢った時にはつとめて此方で避けて通ることにした。最後に吾輩は一個の大きな建物に突き当った。だんだん査べて見るとそれは想いもよらず一の図書館であることが判った。吾輩は斯う考えた。──

『自分はドーにかしてこの地獄から脱出するつもりだが、それには今の中にできる丈地獄の内幕を調査をして置いて、やがてそれを地上の学界に報告したいものである。それには図書館とは難有い。全く註文どおりのシロモノだ………。』

 少々薄気味は悪いが、思い切って建物の内部に入って見ることにした。と、入口のところで忽ち人相の極度にわるい一人の老人にぶッつかった。

『吾輩は図書館の内部を覧せていただきたいので………。』

 仕方がないからそう吾輩から切り出した。

『覧せてやるよ。』と老人が答えた。『俐巧なものは皆ここへやって来る。一体地獄で有力者になろうと思えば、誰でも爰へ来て勉強せんと駄目じゃ。人間界でもその通りじゃが……。』

『全く御説の通りです。──ところで御尋ねしますが、その図書館の蔵書は憎悪一方のものばかりですか? それとも他の科目、例えば愛慾ものなども混っているのですか?』

『主に憎悪もの、残忍ものばかりじゃが、もちろん愛慾ものも少しは混っている。──しかし純粋の愛慾ものを査べようと思えば愛慾の都市の附近に設けてある同市専属の図書館に行かにゃならん。お前さんなども其所へ出掛けて行って、も些し勉強したがよかろう。損にはならんぜ………。』

 斯んなことを喋りながら自分達は図書館の内部に歩み入ったが、それは途方もなく宏大なもので、組織は三部門に分類されていた。即ち──

  一、書籍部

  二、思想画部

  三、思想活画部

である。書籍部には憎悪、残忍に関する一切の専門書が網羅されて居た。例えば宗教裁判の記録毒殺の手引書、拷問の史実並に説明書と云ったようなものである。ただ其所に生体解剖等に関する医書が陳列されているので吾輩は不審を起した。

『一たい地獄に持って来る書物とそうでない書物との区別は何できめるのです?』と吾輩は一冊の医書を抽き出して質問した。『例えばこの生体解剖書ですが、こりゃフランスで出版されたものです。この種の書物は全部地獄へまわされるのですか?』

『イヤそうは限らないよ。』と老人が答えた。『地獄に来るのと来ないのとは、その書物の目的並にそれに伴う影響によりて決るのじゃよ。』


底本:「死後の世界」 潮文社

J.S.M.ワード(John Sebastian Marlowe Ward)著

浅野和三郎訳

発行: 1995(平成7)年4月20日発行

底本の親本は嵩山房刊 1924(大正14)年12月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

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19 地獄の第二境 (下)

2010/03/26

 その池の水が何であるにしても、少くともそれが以前地獄の底で経験した闇の固形体でないことだけは明白で、どちらかといえばギラの浮いた地上の汚水に一ばんよく似寄っていた。

 吾輩は兎も角もこの池を泳ぎ越そうとした。すると鬼もつづいて水の中まで追いかけて来て、吾輩が少しでも水面に顔を出しかけるとピシャピシャ鞭で打つ……。イヤその苦しさと云ったらありません。が、一心に神様を念じながら屈せず前進をつづけ、首尾よく対岸までこぎつけた。

 それから吾輩は絶壁の真下に蹲まりて命懸けで祈願をこめた。と見れば、吾輩の腰の周囲に一条の細い紐がかかっている。尚およく査べて見ると、それは沢山の環をつなぎ合せて拵へた一本の鎖で、その環というのが、ツマリ吾輩が生前積み来れるホンの僅少の善行の徽号なのであった。それまで吾輩はそんなことにはまるきり無頓着でいたが、かくと認めた瞬間に何れ丈吾輩の胸に勇気が湧き出でたか計り知られぬものがあった。

 かかる中にも、いつしか接近せる鬼は背後から吾輩をピシャピシャ笞った。が、吾輩はそんなことには毫しも頓着せず、急いで腰の鎖をほどいた。鎖は心細いほど細いものだが、しかし長さは予期したよりも遥かに長かった。

 吾輩はその鎖の一端を係蹄に作り、雨のように打ち降ろさるる鬼の笞をこらえて断崖の面を査べにかかった。間もなく眼に入ったものは壁面からヌッと突き出した岩の一角、しかもその上には狭い一条の畦がついている。

 何回も行損ねをした後で、とうとうその岩角に係蹄を引ッかけることに成功した。そして細い鎖をたよりに、片手がわりに絶壁をのぼり始めた。

 『何卒この鎖の断れませぬよう……。』

 吾輩はこの時ばかりは今までにもまして真剣に祈念を神にささげたのであるが、不思議なもので鎖は見る見る太くなるように思われた。しばしの間鬼は依然として背後から吾輩を打ちつづけたが、やがてその鞭も届かなくなり、最後に辛くも例の壁面の畦まで辿りついた。が、四辺は真暗がりで、何が何やらさッぱり判らず、鎖はと思って後を振り返って見たが、いつしかそれさえ消え失せて居た。

 暫時はただ絶望の長太息を漏らして居たもののその中良い考が少しづつ湧いて来た。つまり役にも立たぬ絶望の非をさとり、兎も角もここまでの救護に対して神に感謝する気持になったのである。

 これで気分が幾らか落付くと共に、吾輩は再び起き上ってそろりそろりと前進を始めたが、蹈み行く路がイヤに狭く、いつ足を蹈み外して千仞の絶壁をころがり落つるかと寸刻の油断もできなかった。

 それでも路巾は先きへすすむに連れて次第に広くなり、あまり苦労せずとも歩けるようになった。

『イヤ何事も強固な意思の力に限る。』と吾輩は早くも得意になりかけた。『強固な意思さえあれば何んな仕事でも成功する。大ていの人間なら、これほどの目に逢えばがッかりして匙を投げたであろうが、憚りながら吾輩は些と品質が異う。何んなものだい………。』

 そう思うと同時に不図爪先を漂石にぶッつけて足を蹈み外し、ゴロゴロゴロと絶壁を矢を射る如く転落しはじめた。が、あまり遠くも行かない中に岩と岩との亀裂の中に頭部をグイと突き込んだ。

 七転八倒の苦みを閲した後、やっとの思いで亀裂から脱け出して元の場所へ辿りつくはついたが、それからは、幾らか前よりも清浄な気分になり、気をつけながら前進をつづけた。その辺の道路はガラガラした焼石ばかりの個所もあれば、ギザギザした刃物の刃のような個所もあり、そうかと思えば割合に平坦な歩き易い個所もあった。

 最後にある一つの洞穴の入口に出たので吾輩は構わずその中に歩み入ったが、不思議なことには穴の内部の方が却って外部よりも明るい。こいつァ変だと思いながら一つの角をって見るとそこに待伏せしていた四人の奴がだしぬけにとびかかって来て吾輩を撲り倒し、縄でグルグル巻きにしてしまった。

 その際むろん吾輩は全力を挙げて彼等と格闘を試みたのであるが、以前この境涯に居た時とは異って吾輩の力量がめっきり減っていたには驚いた。悪一方の時には地獄で大へん巾がきくが、善性が加わるにつれてだんだん力が弱くなる。そのかわり一歩一歩に上の方へと昇って行く。

 今回はこれ丈にして置きます。これでつまり吾輩はモ一度地獄の第三の境涯まで盛り返したのですが、前回は他を虐めて大意張りであったに引きかえ、今度はあべこべに他から虐められる破目に陥ったのであります。

 イヤ今日はこれで失礼します。これから学校へ行って授業を受けるのですが、学問という奴は莫迦に六ヶ敷いので吾輩大弱りです……。


底本:「死後の世界」 潮文社

J.S.M.ワード(John Sebastian Marlowe Ward)著

浅野和三郎訳

発行: 1995(平成7)年4月20日発行

底本の親本は嵩山房刊 1924(大正14)年12月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

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19 地獄の第二境 (上)

2010/03/25

これは六月一日の夜の霊夢で陸軍士官からきかされた物語の記録です。例によりて理窟ヌキで短刀直入的に自己の体験のつづきを述べています。


 吾輩は何所を目標ともなしに、磊石だらけの荒野をとぼとぼと歩き出した。しばらくすると遠方に微かな物音がするので兎も角そちらの方へ足を向けた。すると、直にその物音の正体が判り出した。外でもない、それは鬼の笞に追い立てられる不幸なものどもの叫声なのである。

 吾輩はがッかりして足を停めた。今更あの痛い目に逢わされてはやり切れないが、さりとてまるきり仲間無しの孤独生活も耐ったものでない。

『ハテどうも困ったものだナ………。』

 頭を悩ましている間もなく、俄かに一群の亡者どもが、例の多数の鬼どもに追い立てられて闇の裡からどッと押し寄せて来たので、吾輩は否応なしにその中に捲き込まれて一散に突走らざるを得ないことになった。

 しばらく駆り立てられてから自分はドーにかしてこの呵責からのがれる工夫はないものかと考えはじめた。

 見ると吾輩のすぐ側を走って行く一人の男がある。吾輩はよろめく足を踏みしめながら辛うじて件の男に話しかけた。──

『ネー君、何とかして爰から逃げ出す工夫はないかしら……。』

『そ……そいつができれば誠に難有いが……。』

 すると鬼の一人が早くもききとがめた。──

『ふざけた事を吐す奴が居やがるナ、この中に………。覚えて居やがれ此畜生!』

 一と言叫ぶ毎に鬼はわれわれ二人を鞭でピシャピシャ撲った。

 撲る、走る。走る、撲る。まるで競馬だ。が、吾輩はそうされながらも四辺に眼をくばった。すると路は次第にデコボコになり、向うの方に高い崖が突き立っている。その崖のところどころに罅隙があるのを認めたときに吾輩は仲間の男に囁やいた。

『あれだあれだ!』

 自分達は成るべくそちらの方に近寄るように工夫して走り、いよいよ接近したと見るや矢庭に岩の割目の一ツに逃げ込もうとしたが、鬼の一人が忽ちそれと勘づいて後から追跡して来た。此方も死者狂に走って見たが、むろん鬼には敵わない。忽ちむんずとひッつかまえられて了った。

 しかし吾輩はひるまず、仲間の男に入智慧した。

『神様に祈れ神様に祈れ! 地獄の中でも神様は助けてくれる………。』

 入智慧したばかりでなく、自分から早速その手本を示した。

『おお神よ、われを救え!』と吾輩は叫んだ。『キリストの為めにわれを救え!』

『黙れ!』と鬼が呶鳴った。『神様が何で汝を助けるものか! 神様は正しい事がお好きだ。最初汝の方で神様をはねつけたのだから、今度は神様が汝をはねつける番だ。黙れ! 何をドー祈ったところで聴いてくださるものか! 神様だって忙がしいや。汝のような謀叛人の無心などをきいている暇があって耐るものか。無益な仕事はさッさと廃して、穏しく此方へ戻って来い!』

 それにつづいて、例の恐ろしい鞭が、ピシャリピシャリとわれわれの躯を見舞った。吾輩はそれに構わず一心不乱に祈祷をつづけたが、仲間の男はとうとう我慢がしきれなくなって、元来た方へ逃げ戻った。多数の中に混って居れば、幾らか鬼の笞を避けられると思ったからで………。

 その瞬間に吾輩は不図崖のすぐ下に黒光りのする、イヤに汚らしい池があることに気がついた。吾輩は一瞬の躊躇もなしにその池の中に跳び込んだ。


底本:「死後の世界」 潮文社

J.S.M.ワード(John Sebastian Marlowe Ward)著

浅野和三郎訳

発行: 1995(平成7)年4月20日発行

底本の親本は嵩山房刊 1924(大正14)年12月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

※ ルビ付き版はこちらです。


18 向上の第一歩 (下)

2010/03/24

 巌の上も随分暗いことは暗いが、しかしモー触覚に感ずるほどの闇ではなかった。が、周囲の状況が少しづつ判るにつれて吾輩は返って失望の淵に沈まない訳には行かなかった。吾輩の打ちあげられた巌というのは、千仞の絶壁から丁度卓のようにちょっぴり突き出たもので、いかにその附近を捜して見ても其処から路らしいものはどこにも通じていない。この時も吾輩又例の奥の手を出して祈祷を始めることにした。

 しばらくの間何の音沙汰とてもないのでがッかりしかけていると、吾輩の視力が次第に加わって来たものか、左手の崖に開いている一つの孔が眼に入った。ドーやら片手だけはそれに掛りそうなので、散々足場を捜した後で、やっとのことでその孔に縋りつくことが能きたが、その孔は案外奥の方が開け、しばらくトンネル様の個所を通って末は狭い壑に出ぬけている。

 斯んな風にのべるとあなた方は地獄はイヤに物質的のところだなと感ぜられるかも知れませんが、しかしわれわれ超物質的のものに取りて超物質的の巌はさながら実体のあるように感ぜられるのです。そりャむろん、何所やらに勝手の異ったところはないではないが、しかしとてもその説明はしかねる。ワアドさんはちょいちょい霊界探険に来られるから大体の見当はおつきでしょうが一般の方には事によると腑に落ちないところが多いかも知れません………。

 それはそうと吾輩は非常な苦心努力を重ねて歩一歩右の壑を上へ上へと登って行った。しばらくして崖の中腹の一地点に達すると、其所から馬の脊のような岩が崖に沿いて延長しているので、吾輩はその岩の上を辿ることにした。

 が、やがてその岩も尽きて了ったので、吾輩は再び絶望の淵に沈んだ。これほどまでに苦心したとどのつまりは矢張り失敗なのかと思うと、最早佇っている根気も失せて一旦はベタベタと地上に崩れた。

 そこでいろいろ考えて見たものの結局何の工夫も浮かばない。せうことなしに又又祈祷を始めることになったが、余り度々のことで格別の希望をこれに維ぐ気にもなれなかった。が、不思議なもので、祈祷をやるといくらか精神が引き立って来て、しまいにはとうとう又起き上って出口をさがして見る気分になった。

 と、俄かに雷霆のような轟然たる響きが起って、巨大な岩の塊が崖の壁面から崩れ落ち、それが狭い壑の上に丁度橋を架たような塩梅にピタリと坐った。橋の彼方がどこへドー通じているかは無論自分の居所からは見えはしないが、斯うなったのはたしかに自分の祈祷の効験に相違ないと感じられたので、大骨折でこのギザギザした橋をのぼり始めた。随分あぶない橋で何遍か下の罅隙に墜落しそうになったが、構わず前進をつづけた。

 やっとの思いでその頂点まで達して見ると、その対側の谿谷は磊石だらけの難所であった。其所を歩くには随分骨が折れ、寸前尺退、いつ果つべしとも思えなかったが、吾輩は歯をくいしばって無理に前進をつづけた。この時ばかりは平生の負けずぎらいが初めて役に立った。

 が、これが最後の難関であった。出ぬけた場所は随分石ころだらけの荒地ではあったが、割合に平坦なので、覚えずはッと安心の長太息をついた。吾輩は地獄のドン底から二段目の所まで逆戻りしたのである。しかし吾輩の胸には同時に又新たな心配が起った。──『自分はここで又あの恐ろしい鬼どもに追い立てられるのではないかしら………。若しそうであるならやり切れないナ……。』

 が、いつまで経っても何事も起らず、又何者も出て来ない。すると又別な恐怖が胸に湧きはじめた。──『自分は折角地獄の底から出るは出ても、矢張りあのイヤにガランとした無人の境に置き去りを食うのではないのかしら。………こいつも実に耐らない………。』

 自分は一時途方に暮れた。『吾輩の祈祷が受け容れられたと思ったのはあれは当座の気休めで、神様は皮肉に吾輩をからかっていられるのではないかしら……』

 散々煩悶に煩悶を重ねたものの、兎に角闇が幾分薄らいでいることだけは確かなので、その事を思うと幾らか又希望の曙光がきらめき出すのであった。


底本:「死後の世界」 潮文社

J.S.M.ワード(John Sebastian Marlowe Ward)著

浅野和三郎訳

発行: 1995(平成7)年4月20日発行

底本の親本は嵩山房刊 1924(大正14)年12月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

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18 向上の第一歩 (上)

2010/03/23

 これは一九一四年五月二十五日に見た霊夢の記事ですが、陸軍士官は不相変席に着くなりワアド氏にこの物語をしてきかせたのでした。──


 いくばくの間吾輩がかの恐ろしい地獄の闇に鎖されていたかはさっぱり見当が取れませんが、しかし自分にはそれが途方もなく長い年代に跨るように思われた。が、兎に角最後に吾輩は一の霊感に接した。吾輩の呂律のまわらぬ祈祷でも神の御許に達したらしいのです。

『神にすがれ。神より外に汝を救い得るものはない。………』

 そう吾輩に感じられたのである。

 が、神に縋るという事は当時の吾輩に取りて殆んど奇想天外式の感があった。吾輩の一生涯はいかにして神から遠ざかろうか。──ただその事ばかりに惨憺たる苦心を重ねたものだ。なんぼなんでもその正反対の仕事をやるのはあまりに勝手が違いすぎるように思えて仕方がなかった。

 吾輩はとつおいつ思案に暮れた。何うすれば神に近づけるか? 何うすれば海綿状の闇の中から脱け出せるか? 自分はすでに呪われたる罪人ではないか?

 すると最後に新らしい考が又吾輩の胸にひらめいた。──

『祈祷に限る………』

 一旦はそう思ったが、しかし矢張り困った問題が起った。吾輩はさっぱり祈祷の文句を覚えていない。祈祷のやり方さえも忘れて了った……。

 散々苦み抜いた挙句に、丁度一の霊感見たいに吾輩の唇から『おお神よ。われを救え………。』という一語が吐き出された。

 一度言葉が切れてからは後は楽々文句が出た。吾輩は同一文句を何回となく繰りかえした。

 それからつづいてどんな事が起ったか。又ドーいう具合に地獄のドン底から上方に出ぬけることになったか。──これを地上の住人に判るように説明することは実に容易でない。何より当惑するのは適当な用語の不足で、地獄の経験を言いあらわすべき文句を見出すことは実に至難中の至難事であります。

 それはそうと、祈祷の効験は誠に著しいもので、何とも言い知れぬ一種心地よき温味がポーッと躯中に行き亘って来た。それがだんだん強烈になって、最後には少々熱すぎる位………。とうとう躯に火がついたようになって了った。祈れば祈るほど熱くなるので、しばらく祈祷を中止したりした。

 熱さについではやがて又一の新らしい妙な感じに接した。それは吾輩の躯の重量が少しづつ軽くなることで、同時に自分は海綿状の闇の中をフワリフワリと上の方へ昇りはじめた。あんなお粗末な祈祷でも吾輩の躯にこびりついた粗悪分子を少しづつ焼きつくし、その結果自然に濃厚な闇の裡には沈んで居れなくなったらしいので………。

 昇り昇って最後に吾輩は闇を通して黒いツルツルした巌が突出しているのを認めた。地上とは大分勝手が異うから説明しにくいが、地獄の底は言はば深い闇の湖水で、四方にはものすごい絶壁が壁立しているのだと思ってもらえば大たい見当がつくであろう。

 兎に角吾輩はこの黒光りする巌を認めるや否や、溺るるものは藁一筋にもすがるの譬にもれずただちにそれにしがみ附こうとしたが、それがなかなか六ヶ敷い。幾度となく足を蹈み滑らして尻餅をつくのであった。

 祈祷の難有味はモー充分判っているので、吾輩は再びそれに依った。──

『おお神よ、在尾よくこの闇より脱れるべく御力を貸し玉え……。』

 そう述べるより早く吾輩が今まで乗っていた闇の湖水が急に揺ぶれ出して、巨きな浪が周囲にうずまき、吾輩を一と呑みにしそうな気配を見せた。が、予想とは反対に、吾輩の躯は浪の為めに巌の上まで打ち上げられて了った。吾輩見たいなものでも、芽をふき出した信仰のお蔭で黒く濁った地獄の水に浸っているのには重量が不足になったものらしい……。


底本:「死後の世界」 潮文社

J.S.M.ワード(John Sebastian Marlowe Ward)著

浅野和三郎訳

発行: 1995(平成7)年4月20日発行

底本の親本は嵩山房刊 1924(大正14)年12月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

※ ルビ付き版はこちらです。


17 底なし地獄

2010/03/22

 吾輩にはとても地獄の最下層の惨たらしい寂しさを伝える力量はない。体験以外にその想像は先ず六ヶ敷そうに思われるから一切余計な文句をならべないことにしますが、しかし吾輩の為めにはそれが何よりの薬でした。あんな目に逢わされなければ吾輩はとても本心に立ちかえるような根性の所有者ではないのでね……。

 最初吾輩には何等後悔の念慮などは起らなかった。胸に漲るものはただ絶望、ただ棄鉢………。するとたちまち自分自身の生前の罪障が形態を作って眼前に浮び出でて吾輩を嘲り責めるのであった。──

『汝呪われたる者よ。眼を開けてよく見て置け。汝はわれわれを忘れていた。最早汝には何等希望の余地もない。汝はその生涯を挙げて悪魔の駆使に任した。人間の皮を被った中の一番の屑でも最早汝を相手にはせぬ。汝を見棄てることの能ないのはわれわれのみだ。能ることならわれわれとても汝見たいなものとは離れたいのだが……。』

 一応その場面が済むと今度は入れ代って闇の場面が現われた。全然寂滅そのもののような暗黒である。叫ぼうと思って口を開けて見ても声は出ない。闇が口の中に流れ込んで栓をするような気持である。

『彼等の口は塵芥もて塞がるべし………。』

 胸の何所やらにこの文句の記憶が残っているらしく思われたが、文句の出所を捜す気にもなれない。兎に角さびしくて耐らない! なさけなくてしょうがない! 縦令鬼の笞に撲たれながらも、上の境涯の方がどれほど恋しいか知れないと思えたが、それすらもモー高嶺の花であった。

 とても歯ぶしのたたない絶対の沈黙! 吾輩にはとてもその観念を伝え得る詮術はない。あなた方には上の境涯で八ッ裂の呵責に逢う方がよッぽど辛かろうと思えるかも知れませんが、決して決してそんなものではないです。

 斯うして幾世紀、幾十世紀かの歳月が荏苒として経過するように感ぜられた。『永遠の呵責』──あの気味のわるい文句が吾輩の胸の何所かで鳴りひびくように思われた。『ここに入りたるものはすべからく一切の希望を棄てよ。』──このダンテの文句なども吾輩の耳に響いて来た。

 然り一切の希望の放棄! 吾輩はしみじみとその境涯の真味を味わいながら、独り法師で幾世紀、幾十世紀の長い長い歳月を苦み抜いたのである。が、最後に、バイブルの中の文句が俄然として吾輩の乾燥た胸に浮び出でた。──

『神よ神よ、爾は何故にわれを見棄て給えるか?』

 吾輩はその瞬間までこの恐るべき文句の真意が判らずに居た。そんな事はトンチンカンな不合理だと思っていた。が、この時初めて電光石火的に、神はすべての人間の苦痛──然り、地獄のドン底に墜ちて居る人間の苦痛をも知って御座るに相違ないと気がついた。キリストの十字架磔刑の物語などは信ずるも信ぜざるもその人その人の勝手である。しかし神さま丈は人間の苦痛の一切を知って居られる。──この事のみは吾輩断じてそれが事実である事を保証する。

 最初この考が吾輩の胸に浮んだ時には格別それを大切な事柄とも思わなかった。が、だんだん時日が経つにつれてこれには何かの深い意味がこもっている事のように思われて来た。吾輩は考えた。──若しも神が人間の苦痛を知って御座るなら、愛の権化である神は人間に対して多少の憐れみを抱かるる筈である。むろん神は矢鱈にわれわれを助ける訳には行くまい。枯れる樹木は枯れねばならぬ。しかし若しも神様が何所かにお在になる以上、必らず吾輩のことを憐んでいてくださるに相違ない……。

 次第次第に新らしい感情が吾輩の胸に湧き出して来た。──吾輩はドーして斯んなに莫迦だったのだろう。何故もっと早く後悔して地獄から脱れることに気がつかずに居たのだろう? 後悔しさえすればきッと神から宥される………。

 が、待てよ、地獄というものは永久の場所ではないのかしら………。果して地獄から脱け出すことができるかしら………。

 吾輩は考えて考えて考え抜いた。揚句の果には何が何やらさっぱり訳が判らなくなって了ったがしかし何を考えるよりもキリストの事を考えるのが一ばん愉快なので、吾輩はそればかり考えつめるようになった。公平に考えて当時の吾輩にはまだなかなか純乎たる後悔の念慮などは起ってはいなかった。が、兎も角も自分は余ほどの莫迦者で、つまらなく幾月を空費したものだと感ずるようになっていた。

『イヤ』と吾輩は叫んだ。『吾輩は借金だけはきれいに返さねばならない。下らぬ愚痴は言わぬことだ。吾輩は生きている時分にもそんな真似はしなかった。今更世迷言の開業でもあるまい……。』

 そうする中にも、過去に於て吾輩が他に施した多少の善事──数はあきれ返るほど少ないが、それでもその一つ一つが、他の不愉快きわまる光景の裡にチラチラ浮び出て、吾輩の涸びた胸に一服の清涼剤を投じてくれた。それからモ一つなつかしかったのは早く死別れた母の記憶……。

『今頃母の霊魂は何所にドーして居られるだろう………。』

 母は吾輩のごく幼い時分に歿なったが、しかしその面影ははっきり胸にきざまれて居た。その母から教えられた祈祷の文句──ドーいうものか吾輩にはそればかりはさっぱり想い出せなかった。他の事柄は残らず記憶しているくせに、祈祷の文句だけ忘れて了っているというのは全く不思議な現象で、世間で呪われたものに祈祷ができないというのは或は事実なのかも知れないと思われた。

 兎に角自分でも気がつかぬ中に吾輩はいくらかづつ祈祷でもして見ようという気分、少くとも善い事をして見ようという気分になりかかて来たのであった。

 この一事は実に吾輩に取りて方向転換の相図であった。それからドーして地獄を脱け出でることになったかは、これから順序を追ってのべることにします。

 吾輩は一と先ずこの辺で一服させて貰います。いよいよ墜ちるところまで墜ち切って、これからは上へ歴のぼる話です。人間に取りて第一の禁物は絶望である。神の御力はどこまでも届く。善人にも悪人にも死ということは絶対に無い。永劫の地獄生活は死に近くはあるが死ではない。心が神に向えば地獄の底からでも受合って脱け出ることが能る。吾輩が何より良いその証人である……。


底本:「死後の世界」 潮文社

J.S.M.ワード(John Sebastian Marlowe Ward)著

浅野和三郎訳

発行: 1995(平成7)年4月20日発行

底本の親本は嵩山房刊 1924(大正14)年12月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

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小桜姫物語について

「小桜姫物語」の再編集完了。

1、ルビなしのPHP化により携帯電話での表示が可能になり、キーワード検索が容易になりました。
2、HTML版は、従来誤字の修正点が未掲載だったものをバルーンヘルプにて誤字の修正点が解るようにし、底本の状態に近づけました。
3、CSSを変更して、HTMLのルビが、IE以外のブラウザでも表示出来るようにしました。

 今後、他のページも同様に再編集して行きます。

次は「新樹の通信」の再編集を行ないますが、9月1日から9月10日まで、私事多忙につき更新おやすみ。