‘2010/02/20’ カテゴリーのアーカイブ

30 幽界見物 (四)

2010/02/20

 するとその時カアリィが突然叫びました。──

『あら! 彼所に一軒家がありますね。誰の住居なのでしょう?』

 そう言われて見ると果して小ざッぱりした家が路傍にあって、前面には小さい庭があり、裏へると更に大きな庭園が附いて居ました。

 叔父。『こりャ近頃壊された何所かの家屋の幽体じゃ。斯んなのは余り長くはここに残るまい。無生物の幽体はとかく永続せぬからナ……。但だ何人かがそれに住んでいると奇妙に保存期限が長くなるものじゃ。兎に角内部へ入って見ることにしよう。』

『まァ!』とカアリィは家の内部を見た時に、『道具が一切揃って居るじゃありませんか!』

 叔父。『幽界にしてはこりャ寧ろ珍らしい現象じゃ。多分火災でも起して什器一切が家と一緒に焼けたのかも知れない。イヤ確かにそうじゃ。その証拠には額面だけが欠けて居る。所々壁に白い痕がついて、額面をさげた紐までそっくり残って居るではないか。多分火災と知って誰かがナイフで紐を切り、一ばん目ぼしい絵だけ運び出したものに相違ない。しかし余り沢山の品物を持ち出す隙はなかったと見える。』

 そう言って叔父さんは食堂であったらしい一室の炉辺に据えられた安楽椅子に腰をおろした。

『兎に角こいつァ住心地のよい家じゃ』と彼は言葉をつづけた。『質素ではあるが、なかなか岩畳に出来て居る。私が若しも幽界に居るものなら、早速こいつを占領するのじゃが……。』

 カアリィ。『ちょっと庭園へ降りて見ましょうか?』

 ワアド。『降りて見てもよい……。』

 夫婦が食堂の扉を開けて、低い階段を降りて庭園へ出ると、間もなく叔父さんが小型の皮鞄を肩にしてそれにつづきました。

 カアリィ。『お父さま、その鞄は何で厶いますか?』

 叔父。『ナニ室に置いてあったのじゃ。何が入って居るか一つ開けて見てやろう。』

 そう言って彼は鞄を地面に降して蓋を開けましたが、忽ち一冊の書物を抽き出して喜色を満面に湛え、

『カアリィ、これを覧なさい! 斯んなものが入って居たとは実に奇妙じゃ!』

 カアリィ。『あら! それはお父さまの昔お書きになった建築学の御本では厶いませんか!』

 叔父。『そうじゃ! 道理でこの家には大変新式の工夫が施してあると思った。この家の所有者は余程理会のよい人物であったに相違ない。』

 叔父さんはこの家の主人が自著の愛読者であったことを発見してうれしくて耐らぬ様子でした。傍でそれを見て居たワアド氏は、人間界でも霊界でも格別人情にかわりがないのを知って、つくづく感心したのでした。

 と、突然カアリィが叫びました。──

『わたし大へんにくたびれましたワ。早く帰って寝ます。』

 ワアド氏はびッくりして不安の面持をして叔父さんの方を見ましたが、叔父さんは一向平気なもので、

『あ! お前はくたびれましたか。それなら早くお帰りなさい。その中又出てくるがよい。お前が来る時は私はいつでもここまで出掛けて来ます。』

 やがてカアリィは二人と別れて立ち去りましたが、忽ち幽界の壁のようなものに遮られてその姿を失いました。叔父さんはワアド氏に向って言いました。──

『お前はカアリィがくたびれたときいた時に大へん気を揉んだようじゃが、あんなことは何んでもない。肉体の方でその幽体を呼んで居るまでのことじゃ。生きて居る人の幽体が肉体に入る時の気分は寝つく時の気分にそっくりじゃ。──イヤしかしお前もモー戻らんければなるまい。先刻は地上から出掛けるものばかりであったが、今度は皆急いで地上に戻る連中ばかりじゃ。』

 成るほど夢見る人の群は元来た方向へ立帰るものばかりで、歩調がだんだん迅くなり、ワアド氏の父も失望の色を浮べて急いで側を通過して行きました。

 やがて人数は次第に減り、幽界の居住者の中には苦き涙をながしつつ、地上に帰り行くいとしき人達に別れを告ぐるものも見受けられました。

『さァお前も良い加減に戻るがよい。』

 叔父さんに促されてワアド氏も其所を立ち去ると見て、後は前後不覚になりました。

 翌朝ワアド氏は昨晩あったことをカアリィに訊ねて見ると、彼女は幽界に於ける会見の大部分を記憶はしていましたが、しかし彼女はそれを単なる一場の夢としか考えて居ませんでした。


底本:「死後の世界」 潮文社

J.S.M.ワード(John Sebastian Marlowe Ward)著

浅野和三郎訳

発行: 1995(平成7)年4月20日発行

底本の親本は嵩山房刊 1924(大正14)年12月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

※ ルビ付き版はこちらです。


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小桜姫物語について

「小桜姫物語」の再編集完了。

1、ルビなしのPHP化により携帯電話での表示が可能になり、キーワード検索が容易になりました。
2、HTML版は、従来誤字の修正点が未掲載だったものをバルーンヘルプにて誤字の修正点が解るようにし、底本の状態に近づけました。
3、CSSを変更して、HTMLのルビが、IE以外のブラウザでも表示出来るようにしました。

 今後、他のページも同様に再編集して行きます。

次は「新樹の通信」の再編集を行ないますが、9月1日から9月10日まで、私事多忙につき更新おやすみ。