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29 幽界と霊界

2010/02/16

 六月十五日、月曜の夜の霊夢もなかなか奇抜で且つ有意義なものでした。

 ワアド氏は例によりて無限の空間を通過し、地上の山川がやがて霊界のそれに移り行くのをありありと認めました。

 会見の場所はいつもの叔父さんの室でした。

 ワアド。『幽界の居住者と霊界のそれとの間には一たいいかなる区別がありますか? はっきりしたところを伺い度う厶いますが……。』

 叔父。『アーお前の問いの意味はよく判っている。──幽界ではわれわれはある程度迄物質的で、言わば一のきわめて稀薄なる物質的肉体を有って居るのじゃ。むろんそれは地上の、あの粗末な原子などとは段ちがいに精妙霊活な極微分子の集りじゃが、しかし矢張り一の物質には相違ない。地上の物質界と幽界との関係は先ず固形体と瓦斯体との関係のようなものじゃ。

『右の幽体は大へんに稀薄霊妙なものであるから、従って無論善悪ともに精神の司配を受け易い。これは独り人間の幽体に限らず、家屋でも風景でも皆その通りじゃ。

『然るに霊界となるとモー物質は徹頭徹尾存在せぬ。われわれの霊魂を包むものはただわれわれの「形」だけじゃ。現在お前の眼に映ずる風景なり、建物なりも曾て地上に存在したものの「形」に過ぎない。

『従って地上の霊視能力を有つものに姿を見せようと思えばわれわれは通例臨時に一の幽体を以てわれわれを包まねばならぬ。同様に普通人の肉眼に姿を見せるには、臨時に物質的肉体を造り上げ、所謂かの物質化現象というやつを起さねばならない。ここで一つ注意して置くが世間の霊視能力者の中には私達の居住する第六界まで透視し得るものもある。お前などもその一人じゃ。──が、大概の霊視能力者にはこれが能きない。能きるにしてもわれわれの姿を幽体で包んだ時の方が良好な成績が挙げられる。』

 ワアド。『夢を見る時に私達は幽界に行くのですか? それとも霊界の方ですか? それとも又あちこち往来するのですか?』

 叔父。『イヤ夢ほど種類の多いものはない。或る夢は単に人間の頭脳の産物に過ぎない。昼間考えたととを夜中にこね返したり、又根も葉もない空中楼閣を勝手に築き上げたりする。大体物質的に出来上った人間は斯んな性質の夢を見たがるが、それは甚だ下らない。決してそんな夢を買いかぶっては可けない。

『ところが、夢を見たように考えて居ながら、その実幽界へ入って行くものが案外沢山ある。中には霊界まで入って行くものもないではない。お前などもその極めて少数なものの一人じゃが、それができるのはお前が霊媒的素質を有って居るという丈ではない。それより肝要なのは私が霊界へお前を呼ぶことじゃ。大概の人にはこの特権がない。よし霊界へ来るものがあっても、お前のようにはっきりした記憶をもたらして帰るものは殆んど全く無い。それが能きるのは私達がお前を助けるからじゃ。──尤も霊界の経験は専ら霊魂の作用に属することなので、幽界の経験よりも一層明瞭に心に浸み込み易くはある。幽界というものは地上の物質界と一層類似して居る関係上、幽体と肉体とが結合した時にごッちゃになって訳が判らなくなる。兎角人間の頭脳は幽界の諸現象を物理的に説明しようとするので却って失策るが、霊界の事になると、余り飛び離れ過ぎて、最初から匙を投げて了って説明を試みようとしない。

『で、大概の人間は睡眠中に幽界旅行をやるものと思えばよい。そんな場合に幽体は半分寝呆けた恰好をして幽界の縁をぶらぶろうろつきまわる。が、躯と結びつけられて居るので、ドーも接触する幽界の状況が本当には身に浸み込まぬらしい。

『余りに物質かぶれのしたものの幽体は往々肉体から脱け切れない。脱けるにしても余り遠方までは出掛け得ない。

『しかし斯んな理窟を並べて居るよりも、実地に幽界へ出掛けて行って地上から出掛けて来るお客様に逢った方が面白かろう。』

 ワアド。『是非見物に行きとう厶いますね。』

 叔父。『それなら早速出掛けることにしよう。が、幽界へ行くのには私の姿を幽体で包む必要がある。』

 ワアド。『あなたはそれで宜しいでしょうが、私は何う致しましょう? 私も幽体が入用ではないでしょうか?』

 叔父。『むろん入用じゃ。一たいお前は幽体を何所へ置いて来たのじゃ?』

 ワアド。『私には判りませんナ。私の躯と一緒ではないでしょうか?』

 叔父。『こんなことは守護神さまに訊ねるに限る。』

 そう言いも終らず、一条の光線が叔父さんの背後に現われ、それがだんだん強くなって眼も眩まんばかり、やがてお馴致の光明赫灼たる天使の姿になりました。

 銀の喇叭に似たる冴えた音声がやがてひびきました。──

『地上に戻って汝の幽体を携えてまいれ!』


底本:「死後の世界」 潮文社

J.S.M.ワード(John Sebastian Marlowe Ward)著

浅野和三郎訳

発行: 1995(平成7)年4月20日発行

底本の親本は嵩山房刊 1924(大正14)年12月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

※ ルビ付き版はこちらです。


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小桜姫物語について

「小桜姫物語」の再編集完了。

1、ルビなしのPHP化により携帯電話での表示が可能になり、キーワード検索が容易になりました。
2、HTML版は、従来誤字の修正点が未掲載だったものをバルーンヘルプにて誤字の修正点が解るようにし、底本の状態に近づけました。
3、CSSを変更して、HTMLのルビが、IE以外のブラウザでも表示出来るようにしました。

 今後、他のページも同様に再編集して行きます。

次は「新樹の通信」の再編集を行ないますが、9月1日から9月10日まで、私事多忙につき更新おやすみ。