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27 公園の道草

2010/02/13

 五月十八日の夜の霊夢の形式はいつもとはやや趣を異にし、ワアド氏は自分の肉体が寝台の中に熟睡して居るのをはっきり認めたのでした。そうする中に室はだんだん遠ざかりてもやもやなものになり、一時は何も彼も霧の海の中に鎖されて了いましたが、やがてその霧が次第次第に形態を為し、忽ち日頃見覚えのある霊界の山河がありありと眼前に展開しました。

 見よ其所には和かな夕陽の光につつまれた風光絶佳の田園が眼もはるかに広がって居るではないか。空中から降り立って、青草の敷きつめた崗の上から瞰下ろせば彼方の低地には叔父さんの住む市街が現われ、校舎の屋根も一つ一つに数えられる。ワアド氏はそちらを指して歩みを運びました。

 同氏の通過したのは見事な森の中で、周囲には小鳥が面白そうに囀って居ました。やがてかの立像やら彫刻物やらの建ち並べる公園に近づくと附近の花壇からはえも言われぬ芳香が鼻を打ちました。

 その附近には沢山の霊魂達がぞろぞろ往来して居ましたが、何れもワアド氏の姿を物珍らしそうに凝視するのでした。同氏の様子には何所やら異ったところがあったからでしょう。──と、二人の若者が足を停めてワアド氏に言葉をかけました。

『あなたさまは何誰です? 死んだお方で厶いますか? ドーも何所やら霊界のものとは勝手が異いますがね。──けれども若し死んで居ないとすればドーして斯んな所へお出でになったのです?』

『イヤ私はまた死んでは居ませんよ。』とワアド氏が答えました。『ただ何うしたことやら私は叔父が歿なってからちょいちょい霊界へ出掛けて来まして、いろんな事柄を見たり聞いたりして帰ることに致して居ります。』

『こいつァドーも奇妙だ!』とその中の一人が言いました。『私も生きて居る時にそんな芸当がやれるとよかった。』

 他の一人もつづいて、

『あなたは単に此所ばかりでなく、他の方面とも往来をなさるのですか?』

『イヤなかなかそうもまいりません。けれども他の方面に行って居る方でも、私の叔父が適当と思えば呼んで来て私に紹介してくれますので、お蔭様で地獄の状況だの、幽界の事情だのがちょいちょい判ってまいりました。』

『何んてあなたは間のいい方でしょう!』と最初言葉をかけた、身材の高い方のが申しました。『私達などは死んで居るくせに地獄の事などは一切無我夢中で暮して居ります。いくらか私達に判って居るのは幽界の事情ぐらいのものです。後生です、しばらくこの泉水のほとりに腰でもかけて、其方面の話をきかせてください。』

 たッての懇望もだし難く、ワアド氏は二人の側に腰をおろして陸軍士官からきかされた地獄の状況を物語ろうとして居りますと、突然彼方から叔父さんが大急ぎでやって来て、大分不興らしい顔容をしてワアド氏をたしなめました。──

『これこれお前は斯んなところで道草などを喰っていてくれては困るじゃないか! 陸軍士官も私もせっかくお前の来るのを待って居るのに……。』

 二人はかわるがわるワアド氏の為めに弁解し、道草を喰わしたのは自分達の過失であると散々詑びました。

『それはよく判って居ます』と叔父さんは答えました。『もちろんあなた方に格別悪意があった訳ではないにきまって居ますが、ただそれ等の事をききたいなら私の所へお出でなさるがよい。甥の任務は地上に生きて居る人達に当方の状況を知らせるのが目的で、何にも死んで霊界へ来て居るあなた方に説教する為めではありません。』

『御尤さまで………。イヤ何んとも飛んだ不調法をして相済みません。』

 二人は恐縮の態でさんざん謝りました。

 そのまま二人と分れてワアド氏は叔父さんに連れられて例の校舎に入って行きますと、果して其所には例の陸軍士官が氏の来るのを待ち受けて居りました。彼はワアド氏と固く握手しながら斯う言いました。──

『ワアドさん、ちとお気をつけなさらんと、霊界の方が面白くなって帰る気がしなくなりますぜ……。』

 それから陸軍士官は帰幽後の面白い実験譚のつづきを語り出したのでした。


底本:「死後の世界」 潮文社

J.S.M.ワード(John Sebastian Marlowe Ward)著

浅野和三郎訳

発行: 1995(平成7)年4月20日発行

底本の親本は嵩山房刊 1924(大正14)年12月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

※ ルビ付き版はこちらです。


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小桜姫物語について

「小桜姫物語」の再編集完了。

1、ルビなしのPHP化により携帯電話での表示が可能になり、キーワード検索が容易になりました。
2、HTML版は、従来誤字の修正点が未掲載だったものをバルーンヘルプにて誤字の修正点が解るようにし、底本の状態に近づけました。
3、CSSを変更して、HTMLのルビが、IE以外のブラウザでも表示出来るようにしました。

 今後、他のページも同様に再編集して行きます。

次は「新樹の通信」の再編集を行ないますが、9月1日から9月10日まで、私事多忙につき更新おやすみ。