‘2010/02/06’ カテゴリーのアーカイブ

22 音楽と戯曲 (上)

2010/02/06

『さてこの次ぎは音楽学校に連れて行くことにしようかナ。』

 叔父さんはそう言ってワアド氏をそちらの方面に案内して行きました。

 其所には作曲に耽るもの、弾奏を試みるもの、唱歌を学ぶもの……。皆熱心な音楽家が集まって居て、大音楽堂らしいものも出来て居ました。

 ワアド。『音楽堂が設けてある位なら、他の演芸機関ももちろん設けてあるでしょうナ?』

 叔父。『そりャあるとも! 霊界には劇場でも何でもある。──が、ここでは悪徳謳歌の嫌あるものは演らないことにしてある。そんなものは皆地獄の方へもって行って了う。霊界の芝居は地上で出来た尤も優れ、尤も高尚な作品と、それから特にこちらで出来た傑作とを演るだけで、少し下らない作物であると、縦令それが品質の悪いものでなくとも地獄のどこかへ持って行って了う。──と言って無論私たちのいる境涯にも最上等の霊的神品というほどのものはない。そんなのは高尚すぎてわれわれに判らぬからじゃ。それ等は私たちよりもずッと上の境涯で演じられる。』

 ワアド。沙翁の戯曲などはあれは何うで厶います? 随分すぐれて善い個所もありますが、時とすると思い切って野卑で不道徳な個所もございますね。』

 叔父。『そんな厭らしい部分は皆改作してあります。しかも沙翁自身が霊界で筆を執って改作したのじゃ。それゆえ霊界の沙翁物には下らない部分がすっかり失せ、そのかわりに詩趣風韻の饒なる文字が置きかえられてある。それがしッくり原文に当てはまっているばかりでなく、原作で生硬難解であった個所が、しばしば意義深長なる大文字に化している。』

 ワアド。『すると沙翁が矢張りあの脚本の作者であって、一部の文芸批評家がいうようにベーコンではなかったので厶いますか?』

 叔父。『無論ベーコンではない。さりとて又沙翁自身でもない。あれは皆一群の霊魂達のインスピレーションによって書かれたのじゃ。沙翁の作物の中で下らない個所だけが当人の自作である。作者が霊界からの高尚な思想をとらえることが能きないで、自身で勝手に穴を埋めて行ったのじゃね……。

『先刻私は霊界の劇場では悪徳謳歌の嫌あるものは許されないと述べたが、むろんそれは悪徳の為めに悪徳を描くのが悪いので、悪徳の恐ろしい結果を示すが為めに仕組まれたものは少しも差支ない。で、沙翁の「オセロ」などは始終霊界で演られている。ただ野卑な文句だけは皆削ってある。あの脚本はずいぶん惨酷な材料を取扱ってはあるが、しかし大へん有益な教訓を含んでいるので結構なのじゃ。──と云って何にも私達があんな簡単きわまる教訓がありがたいので芝居見物に出掛ける訳では少しもない。ただ地上に出現した最大傑作の一つを眼の前で演じて貰えるのが興味をひくからに過ぎない。要するにわれわれの芝居見物は娯楽が眼目じゃ。』

 ワアド。『ダンテの神曲なども矢張りあれを単なる空想の産物と見做すのは間違で厶いましょうか?』

 叔父。『間違じゃとも! あれはダンテが恍惚状態に於て接したところの真実の啓示に相違ない。ただあれには本人の詩的空想だの、又先入的宗教思想だのが相当多量に加味されて居る。恐らくダンテはかれの恍惚状態から普通の覚醒状態に戻った当座ははっきり真相を掴んで居たのであろうが、いよいよ筆を執りて詩句を練って居る時に錯誤たのじゃと思う。』


底本:「死後の世界」 潮文社

J.S.M.ワード(John Sebastian Marlowe Ward)著

浅野和三郎訳

発行: 1995(平成7)年4月20日発行

底本の親本は嵩山房刊 1924(大正14)年12月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

※ ルビ付き版はこちらです。


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小桜姫物語について

「小桜姫物語」の再編集完了。

1、ルビなしのPHP化により携帯電話での表示が可能になり、キーワード検索が容易になりました。
2、HTML版は、従来誤字の修正点が未掲載だったものをバルーンヘルプにて誤字の修正点が解るようにし、底本の状態に近づけました。
3、CSSを変更して、HTMLのルビが、IE以外のブラウザでも表示出来るようにしました。

 今後、他のページも同様に再編集して行きます。

次は「新樹の通信」の再編集を行ないますが、9月1日から9月10日まで、私事多忙につき更新おやすみ。