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20 インスピレーション (上)

2010/02/03

 三月三十日の夜ワアド氏は恍惚状態に於て霊界の叔父さんを訪ねました。二人の立てる場所はとある高い崗の上で、眼下に叔父の住む校舎の塔だの屋根だのが見えるのでした。

 叔父。『何うじゃ、今日はお前に学校の見物をさせようと思うが……。』

 ワアド。『至極結構で厶いますね。』

 二人は徐ろに崗の傾斜面を降りつつありました。

 ワアド。『叔父さん、今日は私カアリィからの伝言をもって来て居るのです。今までのあなたのお話はすこし堅過ぎるから、何ぞ霊界の事情のあっさりした方面──例えばあなた方のやって居られる道楽、遊芸と云ったような事柄を査べて来て貰いたいという注文なのですが、いかがなもので厶いましょう? まさかあなた方とて勉強ばかりやって居らッしゃる訳でも厶いますまい。』

 叔父。『成るほどそれもそうじゃ。それなら今日はそちらの方の問題を形づけることにしよう。尤も余り沢山あり過ぎて、ホンの一局部を瞥見するだけの事しか能まいがね……。』

 やがて二人は校舎の門をくぐり、一つの大広間に入って行きました。

 叔父。『これは私の入っている倶楽部見たいなところじゃ……。』

 成程其所には多数の人達が集まって、その中の幾人かがしきりに将棋を闘かわして居ました。

 ワアド。『なかなかドーも熾んですナ。──彼所に居る方は大へんうまい手を差しますナ。』

 叔父。『あれがラスカァじゃ。お前と同じように、まだ生きているくせに、毎晩ここまで出掛けて来て勝負を行っている。』

 ワアド。『余りあの方の腕前がとび離れてすぐれて居るので、私にはとても覚え切れません。霊界に居てさえのみ込めない位ですから地上へ戻ったら尚更忘れて了いそうです。』

 叔父。『別に覚えて居る必要は少しもない。霊界で将棋を行って居るという事実を覚えて居って貰えばそれでよい。』

 間もなく二人は其所を出て門をくぐりました。

 叔父。『私にはまだ他にも道楽があるから、それを見せてあげよう。』

 そう言って叔父さんは街を通って、とある街廓に出たが、それは文芸復興期の様式に出来ているものでした。とある家の扉を排して内部に入ると、其所は建築事務所で、地上のそれのように少しも取り乱したところがなく、そして図案よりも寧ろ模型品が沢山並んでいました。

 叔父。『これは私がある一人の人物と共同で経営して居る仕事じゃが、生憎相手は目下ある新らしい研究に出張中でお前に紹介することが能きない。その人は十六世紀の末から十七世紀の初期にかけてこの世に生きていたフランス人でイタリィにも行って居たことがあるので、文芸復興期の建築にかけてはなかなか通暁い人じゃ。ただ排水工事その他の近代的設備の知識にとぼしいので、私がそれ等の点を補充してやっている。一と口にいうと私の相棒は図案装飾等の専門で、私の方は実用方面の受持じゃ。

『大体に於て霊界はあらゆる美術が地上のものの夢にも考え及ばぬほど進歩している。とても比較になりはしない。』

 ワアド。『それにしても、何の目的で斯んな図案などをお作りになるのです? 霊界でも建築を行るので厶いますか?』

 叔父。『ときどきは建築をせんこともない。しかし多くの場合に於てわれわれは地上の人間にわれわれの思想を映し、物質的材料を使って建築を行らせるのじゃ。インスピレーションの本源は悉く霊界に在る。天才の作品というものは詰りその人物の霊媒的能力を活用して霊界のものが操縦する結果である。天才は兎角気まぐれが多く、道徳的欠陥に富んで居るものだが、要するにそれは彼等が霊媒であるからじゃ。善い霊に感応すると同時に又悪い霊の影響をも受け易い……。』


底本:「死後の世界」 潮文社

J.S.M.ワード(John Sebastian Marlowe Ward)著

浅野和三郎訳

発行: 1995(平成7)年4月20日発行

底本の親本は嵩山房刊 1924(大正14)年12月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

※ ルビ付き版はこちらです。


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小桜姫物語について

「小桜姫物語」の再編集完了。

1、ルビなしのPHP化により携帯電話での表示が可能になり、キーワード検索が容易になりました。
2、HTML版は、従来誤字の修正点が未掲載だったものをバルーンヘルプにて誤字の修正点が解るようにし、底本の状態に近づけました。
3、CSSを変更して、HTMLのルビが、IE以外のブラウザでも表示出来るようにしました。

 今後、他のページも同様に再編集して行きます。

次は「新樹の通信」の再編集を行ないますが、9月1日から9月10日まで、私事多忙につき更新おやすみ。