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19 実務と信仰

2010/02/02

 三月九日の夜、例の霊夢の中にワアド氏は林間のとある地点で叔父さんと向合いになって坐りました。この日の叔父さんの話は信仰の神髄に関する極めて真面目な性質のものでした。──

 叔父。『私はこの辺で充分お前の俯に落ちるところまで信仰と実務との関係について説明して置きたいと思う。信仰というものはすべて実務の上に発揮した時に初めて生命があるものじゃ。従って真のキリスト教徒であるならその平生の生活はすっかりキリストの教にはまりきって了わねばならぬ筈で、口に信仰を唱えながら実行の上ではキリスト教の一切の道徳的法則を破りつつあるものは単なる一の詐欺師に過ぎない。

『ただし充分の努力はしても尚お且つ誘惑にかかるものはまた別じゃ。私はそれをも詐欺師扱いにしようとするのではない。それ等の人々は所謂「信仰ありて実務の伴わざる境」に編入される。一ばんいけないのは日曜毎に規則正しく寺院に赴き、残る六日の間に詐欺道楽の限りを尽す連中である。この種の似而非キリスト教徒は千万を以て数える。此等が地獄に落ちるのじゃ。行為のできて居ないことが、つまり信仰のない証拠である。』

 ワアド。『そう致しますと、人間というものは単にその行為のみで審判かるるので厶いますか?』

 叔父。『イヤその審判という言葉の意義から第一に誤っている。普通この言葉は自己以外の何者かが審判くという事に使われるが、それは間違って居る。人間は自己が自己を審判のじゃ。われわれの霊魂は自己に適合せる境涯以上には決して上れるものでない。他から規則の励行を迫る必要は少しもない。そのまま棄て置いて規則が自ずと働くのじゃ。この点が明かになればお前の疑問は直ちに解ける。ここに純然たる物質主義者があるとする。詰り神を信ぜず、又死後の生活をも信ぜず、他人が此等を信ずるのを見れば極力妨害しようとする徹底的唯物主義者があると仮定するのじゃ。この人物は決して悪人ではないかも知れぬ。人類の物質的幸福を向上進展せしめんとする高潔な考で働くところの博愛主義者であるかも知れないのである。今この人物が仮りに死んだとする。彼は果して霊界の何の境涯に落付くであろうか? 彼の霊魂の姿は少しも発達して居ない。又彼は強い光明には堪え得ない。故に上の境涯に進もうと思えば、先ずその霊体を発達せしめて、唯物的観念から脱却せねばならない。別に厳格な審判者が控えて居て強いて彼を地獄に落すのではない。自分自身で勝手に地獄に落ちて行くのじゃ。同気相求、同類相集まる。信仰がないものは、信仰を以て生存の要義として居る境涯から自然に除外されることになる。

『故に彼の行先地は当然地獄の第五部であらねばならぬ。其所には勿論神の愛は見出されぬ。しかしその仲間同志の間には愛があるからそのお蔭で或はそれから上に登ろうとする念願を生ぜぬものでもあるまい。

『若しも幸にして其人がここで翻然として霊に目覚めてくれさえすればその進歩は確実であると思うが、兎角唯物主義者は死後も唯物主義者であり勝ちで困る。極端なところになると、飽まで自己の死を否定し、自己の霊体を物質的の肉体であると考え、霊界に居りながら依然として地上の生活をつづけて得るように勘違いして居るものさえある。よしそれほどでなく、自己の死んだことには気がついて居ても、尚且神の存在は飽まで否定して信仰の勧めに耳を傾けないのがある。何れにしても皆地獄から脱け出る資格がない。

『とはいうものの、純粋の唯物主義者というものは人が普通考えるほどそう沢山なものではない。表面には唯物主義者と名告って居る連中でも、肚の底に案外信仰心を有って居るのが多い。それ等は当然私達の居住する境涯へ来る。

『のみならず、唯物的傾向の人物は死後容易にその幽体を失わずに居るものである。従って彼等は幽界生活中、結構心霊上の初歩の知識を吸収し、唯物説の取るに足らないことを自覚するようになる。

『幽体の話が出た序に幽界の意義を説明して置くが、幽界は幽体を所有するものの居住する世界の総称で、地上境はツマリ幽界の一部に過ぎない。

『地上境は大体之を二分して肉体のあるものと、肉体のない者との二つに分けられる。前者は勿論お前達のような人間であり、後者は地縛の霊魂、その他さまざまの精霊どもである。死者は一度は皆この幽界を通過せねばならぬ。そして幽体を棄てた後でなければ決して霊界には入れない。無論地獄も霊界の一部なのじゃ。

『私自身の幽界生活は極めて短かいもので、有って居た幽体は殆んど自分の知らぬ間に失せて了った。一と口にいうと私は幽界を素通りにして地上の寝室から一足とびにこの美わしい霊界の景色の中へ引越して来たのである。

『しかし、あの陸軍士官などの話をきくと、死後久しい間幽体に包まれて居て、それが亡くなるときのこともはっきり記憶して居るということじゃ。

『これで大てい信仰と実務との関係は明かになったと思う。お前は早く地上へ戻って安眠するがよい……。』

 そう言って叔父さんがワアド氏の前に立って幾度か按手すると、氏は忽ち知覚を失って了ったのでした。


底本:「死後の世界」 潮文社

J.S.M.ワード(John Sebastian Marlowe Ward)著

浅野和三郎訳

発行: 1995(平成7)年4月20日発行

底本の親本は嵩山房刊 1924(大正14)年12月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

※ ルビ付き版はこちらです。


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小桜姫物語について

「小桜姫物語」の再編集完了。

1、ルビなしのPHP化により携帯電話での表示が可能になり、キーワード検索が容易になりました。
2、HTML版は、従来誤字の修正点が未掲載だったものをバルーンヘルプにて誤字の修正点が解るようにし、底本の状態に近づけました。
3、CSSを変更して、HTMLのルビが、IE以外のブラウザでも表示出来るようにしました。

 今後、他のページも同様に再編集して行きます。

次は「新樹の通信」の再編集を行ないますが、9月1日から9月10日まで、私事多忙につき更新おやすみ。