30 幽界見物 (三)

 いくらか夢見る人達の往来が杜絶たときにワアド氏は叔父さんの方を振り向いて訊ねました。──

『一たいこの幽界では地上と同じように場所が存在するのでしょうか?』

 叔父。『ある程度までは存在する。お前が現に見るとおり、幽界の景色は物質世界の景色と、ある点まで相関的に出来て居る。例えば現在われわれはロンドン附近に居るから、それで斯んなに沢山の群衆が居るのじゃ。が、それはある程度のもので、われわれの幽体は必らずしも地上に於るが如く時空の束縛を受けず、幽界の一部分から他の部分に移るのに殆んど時間を要しない。又幽界の山河が全然地上の山河の模写、合わせかがみという訳でもない。幽界の山河は言わば沢山の層から成って居る。同一地方でも、それぞれの年代に応じてそれぞれ異った光景を呈する。例えばロンドンにしても、曾て歴史以前に一大森林であったばかりでなく、ずっと大古には海水で蔽われていたことさえもあった。』

 ワアド『そう言えば只今見るこの景色も現在のロンドンの景色と同一では厶いませんナ。』

 叔父。『無論同一ではない。が、この景色とても余り旧いものではない。──ちょっと其所へ来た人を覧るがよい。』

 ワアド氏は一と目見てびッくりして叫びました。──

『あッカアリィじゃありませんか! 不思議なことがあればあるものですね。家内中が皆幽界へ引越して来ている!』

 叔父。『別に引越した訳でもないが、斯うして毎晩幽界へ出張するものは実際なかなか少くない。人によってはのべつ幕なしにこっちへ入り浸りのものもある。その癖眼が覚めた時に、そんな連中に限ってケロリとして何事も記憶して居ない。彼等に取りて幽界生活と地上生活とは全然切り離されたもので、睡っている時は地上を忘れ、覚めている時は幽界を忘れ、甚だしいのになると、幽界へ来て居る間にまるきり自分が地上の人間であることを記憶せぬ呑気者も居る。斯んな連中は死んでも死んだとは気がつかず、何時まで経っても睡気を催さないのが不思議だと思っている。が、大ていの幽界居住者は多少地上生活の記憶を有って居て、逢いたく思う地上の友を捜すべく、わざわざこの辺まで出掛けて来る。又生きて居る人間の方でも、夢で見た幽界の経験を曲りなりにも少しは記憶して居る。ただ極端に物質かぶれのした人間となると、幽体がその肉体から離れ得ないので、死ぬるまで殆んど一度も此所へ出掛けて来ないのもないではない。就中食慾と飲酒慾との強い者は自分の幽体を自分の肉体にくくりつけて居る。──が、談話はこれ位にして置いて、ちょっとカアリィに会ってやろう。しきりに私の事をさがしている………。』

 叔父さんは通行者の群を突き抜けて、直ちにカアリィに近づきましたが、彼女は安楽椅子に腰をおろせる生前の父の幻影を描きつつ、キョロキョロ四辺を見まわして居るのでした。彼女の身に纒えるは、きわめて単純な型の純白の長い衣裳で、平生地上で着て居るものとはすっかり仕立方が異って居ました。

 やがて父の姿を認めると彼女は心からうれしそうに跳んで行きました。

 カアリィ。『お父さましばらくで厶いましたこと! お変りは厶いませんか?』

 叔父。『しばらくじゃったのう。お前はよく今晩ここへ来てくれた。私は至極元気じゃから安心して居てもらいたい。それはそうとお前は私達の送っている霊界通信を見て何う考えて居るナ?』

 彼女の顔にはありありと当惑の色が漲りました。

 カアリィ。『霊界通信で厶いますか? わたし何も存じませんが……。』

 叔父。『これこれお前はよく知っている筈じゃ。お前は半分寝呆けて居る。早く眼を覚ますがよい。お前の良人の躯を借りて送って居る、あの通信のことじゃないか! お前の良人もここに来て居る。』

 父からそう注意されて彼女は初めて良人の居ることに気がつきました。無論ワアド氏の方では最初から知り切って居たのですが、成るべく父親との会見の時期を永びかせたいばかりに、わざと遠慮して控えて居たのでした。

 カアリィ。『まァ! あなたは何をしていらっしゃるのです、斯んな所で………。』

 ワアド。『しッかりせんかい! 私はいつもの通り月曜の晩の霊界旅行をして居るのですよ。そして叔父さんに連れられて、お前途が幽界へ出掛けて来る実況を見物に来たのだがね、覚めた時に私とここで逢ったことをよく記憶して居てもらいますよ。』

 叔父。「そいつァ些と無理じゃろう。記憶して居るとしても、せいぜい私と逢ったこと位のものじゃろう。私の幻覚に引張られて来たのじゃから………。それはそうとカアリィ、お前はモー霊界通信のことを想い出したじゃろうナ。』

 カアリィ。『何やらそんなことがあったように思いますが、まるで夢のようで厶いますわ。──お父さまは近頃御無事で厶いますか? 大へん何うもしばらくで………。』

 叔父。『私かい。私は至極無事じゃよ。生きて居る時に私は今のように気分のよい事は殆んど一度もなかった。お前が何をくれると言っても、私は二度とお前達の住んで居る、あの息づまった、阿呆らしい、影見たいな地上へだけは戻る気がせぬ。その中お前達の世界から私の所へ懐かしい親友が二三人やって来そうじゃ……。』


底本:「死後の世界」 潮文社

J.S.M.ワード(John Sebastian Marlowe Ward)著

浅野和三郎訳

発行: 1995(平成7)年4月20日発行

底本の親本は嵩山房刊 1924(大正14)年12月発行

※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ 底本で使われている「面区点2-12-11 (U+2231E)」]の文字は、辞書によっては異体字として扱われていない「廻」で置き換えています。

※ PHP化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に、白丸傍点表記を、斜字に置き換えました。また、底本中のルビは割愛しました。

※ ルビ付き版はこちらです。


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小桜姫物語について

「小桜姫物語」の再編集完了。

1、ルビなしのPHP化により携帯電話での表示が可能になり、キーワード検索が容易になりました。
2、HTML版は、従来誤字の修正点が未掲載だったものをバルーンヘルプにて誤字の修正点が解るようにし、底本の状態に近づけました。
3、CSSを変更して、HTMLのルビが、IE以外のブラウザでも表示出来るようにしました。

 今後、他のページも同様に再編集して行きます。

次は「新樹の通信」の再編集を行ないますが、9月1日から9月10日まで、私事多忙につき更新おやすみ。